カンボジア、コンポンチュナン州オンドンルッセイ村は焼きものの村として有名です。ナラーさんは陶工として、ここで 伝統的なカンボジア陶器を現代のデザインで再構築し、陶器生産を地場産業として振興させようと日本の支援による「カンボジア伝統陶器プロジェクト」に参加しています。
■これまでのキャリアの経緯は?
小学校2年生ぐらいからおばあさんに習って素焼き作りを始めました。ろくろは16歳の時に村で行われていたドイツ支援のワークショプで習いました。ずっと家で仕事をしていましたが、2007年に一度、2008年半ばから2009年始めにかけてもう一度、シェムリアップ(アンコールワットのある街)の窯元で働きました。でも、田んぼが忙しい時に人が足りなくて大変なのと、自分の村で陶器を作りたくなって帰って来ました。
2009年から日本の支援で釉薬陶器作りのプロジェクトが村で始まりました。9~15世紀、カンボジアにはアンコールワットで有名なクメール王朝が存在しました。その時代に生まれた「クメール焼」と呼ばれる優れた陶芸技術があったのですが、王朝の衰退とともに、その技術は失われてしまいました。プロジェクトでは「コンポンチュナン焼」としてブランドを立ち上げ、食器や置物など、カンボジアでの新しい陶器の生産、販売を行っています。村の陶工たちが独立して持続させていくことを目指しています。
私もこのプロジェクトに参加して、日本の、主に益子焼きの陶芸家の先生たちに陶器づくりを教わりました。今は村にあるコンポンチュナン焼の工房で陶器を、家では素焼きを作る毎日です。
■現在の収入はどれくらいですか?
コンポンチュナン焼の陶器の売上が増えてきて、平均して月に150USドル(約1万8,000円)ぐらいになります。夫も一緒に働いているので2人で300USドル(約3万円)になります。
素焼きは、窯にいっぱいに詰めて焼いて1回分で60万リエル(150USドル)の収入になります。月に1回から多くて3回焼きます。平均すると2カ月で3回、窯焚きしています。子どもが大きくなってきたので手がかからなくなってきて、家でもっと仕事が出来るようになったので、素焼きの仕事も収入が増えました。
■今の仕事で気に入っているところ、満足を感じる瞬間は?
この村では元々は素焼きしかできなかったけど、陶器も作れるようになって楽しいです。お客さんの注文品をきれいに作って焼くことが出来て、気に入ってもらえると嬉しいです。
■逆に今の仕事で大変なこと、嫌な点は?
私たちを支援してくれているカンボジア伝統陶器プロジェクトは今年で終わります。その後は私たち自身で独立してやっていかなければなりません。生産は大丈夫だけど、営業とか経営がちょっと不安です。また、メンバーたちのいろいろなアイデアをひとつにまとめるのは大変です。
また、作っている商品が割れてしまったり、お客さんに気に入ってもらえなかったり、窯で焼くときに釉薬がうまく熔けなくていい色が出なかったときはがっがりします。
■休みのとりかたは?
ほとんど休みません。休みの日も街へ行くことはほとんどなくてずっと村にいます。お正月やお盆の時は1週間から10日休んで、お寺に行ったり遊びに行ったりします。村で伝統的な踊りやゲームをします。
■日本人のイメージは? あるいは、理解し難いところなどありますか?
将来のことを考えて成功するまで大変な仕事でもねばり強く頑張る人たちです。一人でも、グループでも同じように頑張ります。一方、カンボジア人は一人の時は頑張りますが、グループの時はあまり……。日本人はお金をたくさん稼げるけどちゃんと節約して大切なものだけ買いますよね。カンボジア人はあんまりたくさんお金をもらえないのにすぐいろんなものに使ってしまいます。
カンボジアは近所の人との付き合いが盛んで人の行き来が多くてにぎやかだけど、日本人はあんまりそういうことがなくて静かな気がします。
■ちなみに、今日のお昼ごはんは?
お昼ごはんはいつも家に帰って家族と一緒に食べます。今日は、スガオ・トローユーンチェーク・サイットライチュダオ(雷魚とバナナの花のスープ)を作りました。お米は自分たちの田んぼで収穫したものですよ。
日本に行った時は天ぷらが一番おいしかった。刺身も初めて食べたけど新鮮でおいしかったで。でもわさびは……とっても辛かった!
■将来の仕事や生活の展望は?
自分は小学校までしか行けなかったけれど、子どもたちは高校、出来れば大学まで行かせたいと思っています。子どもたちが将来、好きな仕事を自分で選べるようになるといいな。いま少しずつ新しい家を建てています。そんなに大きな家ではないけれど。家族4人で暮らす分にはちょうどいいと思います。来年には完成させたいです。
写真:明博史