浦和レッズ・武藤雄樹選手は8月の東アジアカップで初の日本代表を果たし、日の丸への思いを一層深めた

初めて日の丸を背負った戦いで叩き込んだ2つのファインゴール。国内組だけで臨んだ東アジアカップで衝撃的なデビューを飾ったMF武藤雄樹(浦和レッズ)は、海外組が招集される9月以降の戦いでの生き残りをかけて、J1の舞台で結果と内容を追い求めていく。

ハリルホジッチ監督が発した意外な言葉

興奮と緊張が交錯する初対面の瞬間。年代別の代表を含めて、生まれて初めて日の丸を背負った武藤を待っていたのは、ハリルホジッチ監督の意外な言葉だった。

「Jリーグでのゴールが足りないぞ」。

中国・武漢で開催された東アジアカップへ向けて、招集された23人のJリーガーが顔を合わせてからのひとコマ。ボスニア・ヘルツェゴビナ出身で、フランス国籍をもつ63歳の指揮官はたたみかけるように武藤へはっぱをかけた。

「代表ではとにかくゴールを決めろ」。

東アジアカップに伴って中断したJ1では、21試合に出場して9ゴールをゲット。レッズではトップ、リーグ全体でも9位タイにつける数字を残し、無敗でのファーストステージ制覇の原動力になった一方で思い当たる節もあった。

松本山雅FCとのセカンドステージ開幕戦でこそゴールを決めたものの、その後は4試合、計338分間にわたって不発。レッズも白星から見放されたまま代表に合流していた。

そうした軌跡を、ハリルホジッチ監督は把握していたのだろう。厳しい言葉を檄(げき)として受け止め、自らを発奮させながら、武藤は初キャップを獲得する瞬間を待った。

「ああいうことを言われたので、代表の試合では特にゴールに対してこだわりをもって臨みました」。

北朝鮮戦で決めた史上最速のデビュー戦弾

誓いはすぐに成就する。8月2日。北朝鮮代表との第1戦がキックオフされてから、まだ3分と経過していなかった。

右サイドでパスを受けたDF遠藤航(湘南ベルマーレ)が、低く、速いアーリークロスをニアサイドへ送る。北朝鮮戦で代表デビューを果たした22歳のホープは、以心伝心のプレーだったと打ち明ける。

「顔を上げたら武藤君が見えた。イメージ通りでした」。

トップスピードで走り込んできたのは、同じく代表初陣でトップ下に入った武藤。必死にボールをはじき返そうとする相手よりも速く左足をヒットさせると、強烈な先制弾がゴール右に突き刺さった。

日本代表史上で29人目となるデビュー戦でのゴール。「史上最速弾」という付加価値もついたが、もちろん武藤のゴールへの飢餓感は満たされない。同5日の韓国代表との第2戦をベンチウォーマーで終えただけに、なおさら思いが強まる。

中3日で迎えた中国代表との最終戦。1点のビハインドで迎えた後半41分だった。DF米倉恒貴(ガンバ大阪)が左サイドを抜け出した瞬間に、武藤はチャンスの臭いを嗅ぎ取る。

ファーサイドからニアサイドへ。ペナルティーエリアに入ると一気に加速し、最後はスライディングしながらクロスに右足をヒットさせてネットを揺らした。

武器を生かせなかったベガルタ仙台時代

ハリルジャパンは未勝利のまま、大会史上で初めてとなる最下位で東アジアカップを終えた。逆風にさらされた武漢の地で、しかし、武藤は得点王を獲得して気を吐いた。

ふたつのゴールの残像はいまも脳裏に刻まれ、26歳にして花開こうとしている遅咲きのシンデレラボーイをさらに前進させる糧になっている。

「レッズで決めているようなゴールを、代表でも決めることができた。その意味では『やってきたことは間違っていなかった』という自信と手応えをつかんで、日本に帰ってきました」。

昨年まで4シーズン在籍したベガルタ仙台では、通算で6ゴールしかあげていない。チーム事情からサイドハーフが主戦場となったが、武藤自身は相手ゴール前でのプレーにこだわりをもっていた。

豊富な運動量を生かしてあらゆるスペースに顔を出し、一瞬のスピードと意外性に富んだプレーでゴールを狙う。ベガルタ時代には、親しい関係者にこんな言葉も漏らしていた。

「相手との駆け引きなら、絶対に負けない自信がある。それが自分のストロングポイントでもある」。

レッズで用意されたポジションは、ワントップの周囲で暴れ回るダブルシャドーの一角。わずか5カ月でベガルタ時代のゴール数を超えた覚醒ぶりは必然であり、まばゆい輝きがハリルホジッチ監督の目にも留まった。

レッズからのオファーを受諾した理由

レッズから届いたオファーに、ベガルタのチームメイトはもちろんのこと、武藤本人も耳を疑った。大型補強を敢行するレッズに、「本当に自分をほしいのか」という疑問も抱いた。

迷いや不安が一掃されたのは昨年11月下旬。ガンバとの優勝争いの渦中にいた、レッズのミハイロ・ペドロヴィッチ監督が交渉に直接出馬。ゴール前における武藤のプレーを高く評価した瞬間に心は決まった。

選手層がもっとも厚いレッズへ挑む覚悟を、武藤本人から聞いたことがある。

「自分自身に期待しました。レッズのなかで大きく成長しよう、ダメなら落ちていくだけだと」。

潜在能力が解き放たれ、憧れてきた代表をも手繰り寄せたからこそ、新たな目標が頭をもたげてくる。

「海外組が呼ばれても、代表に定着したいという思いがすごく高まりました。そのためには、はっきりとわかる結果をJリーグで出していかないと。ただ、ゴールを決めればそれでいいのかと言われれば、僕のようなタイプは違う。攻撃を作る部分もそうだし、守備もやらないといけない。海外組はもっと厳しい環境のなかでプレーしているはずなので、彼らに負けないくらいの意識をもって内容も追い求めていかないと、上のレベルには行けないと思っています」。

初めての国際試合で刻まれた強さと速さ

東アジアカップを終えると、指揮官のさらに意外な言葉が待っていた。

「北朝鮮戦は運動量が足りなかった。後半は足が止まっていたぞ」。

国際試合で日本人とは異なる強さや速さを経験して、初めてわかることもある。「もっとタフになれ」という意味が込められた指揮官の檄を、武藤は素直に受け入れた。

「レッズのなかでは運動量があると思っていたので…悔しさはありましたけど、相手のパワーといったものは感じてきた。それに耐えられるだけのパワーを僕もつけるのか、かわすスピードをつけるのかといった部分を、練習からイメージしていかないと」。

帰国後で初めてリーグ戦に出場した16日の湘南ベルマーレ戦。ゴールこそ奪えなかった武藤だが、ハードワークを前面に押し出す相手に体を張って応戦。1対0の勝利に笑顔を輝かせた。

「ハリルホジッチ監督は『世界と戦うために練習しろ』と何度も言っていた。僕ももっと意識を高めていきたい」。

9月のワールドカップ・アジア2次予選に臨む日本代表メンバーが8月27日に発表される。本田圭佑(ACミラン)や香川真司(ボルシア・ドルトムント)と同じ時間を共有できる舞台を思い描きながら、武藤は同22日に行われる古巣ベガルタ戦で結果と内容の二兎(にと)を追う。

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筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)

日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。