17度線に立ってみたい。「ベトナム戦争終結40周年」のニュースに接し、ふとそんな旅を思いついた。今年春のことだ。下の写真が、かつて南北間の軍事境界線が置かれていた非武装地帯、いわゆる「17度線」である。ベンハイ川に架かるヒエンルオン橋を旧南側から北側へ歩いてみた。橋げた渡された板の上をゆっくりと、10年以上にわたって人々を苦しめた戦争が「サイゴン(現ホーチミンシティ)陥落」で幕を閉じた1975年の当時に思いを馳せながら。
ダナン直行便は日本の空ではレアなA321
今回の旅では、ベトナム航空が2014年夏に開設した成田からダナンへの便(VN319便)を利用した。同社は成田のほか関西、中部、福岡からハノイとホーチミンへの便を就航しているが、ダナンへの直行便は初めてとなる。多くの世界遺産やリゾートが集まるホイアンやフエ、ドンホイなどベトナム中部の街々が、同路線の開設でぐっと近くなった印象である。
ベトナム航空がダナン線で運航しているのはエアバスA321だ。エアバスの単通路型ベストセラー機A320ファミリーのひとつで、標準型のA320よりボディを主翼の前後で6.9m延長し、設置できる座席数を増やした。VN319便のキャビンはビジネスクラス16席、エコノミークラス162席の計178席でレイアウトである。
A320は国内LCCの各社が運航しているので乗った人は多いだろうが、長胴型のA321は日本では体験できるチャンスが少ない。ANAが1990年代後半から一時期飛ばしていたものの、わずか10年で日本の空から姿を消した。ダナンへの旅はその意味でも、多くの飛行機ファンにとって魅力かもしれない。
伝統のアオザイを着用するCAたち
VN319便の成田出発は15時25分。機内では、いつものアオザイ姿のクルーたちが出迎えてくれた。ベトナム航空というと、尾翼に金色の 蓮(ハス)の花をあしらったブルーグリーンの機体とともに、まず思い浮かべるのがこのアオザイの制服だ。アオザイの色は初期の淡いブル ーから、日本に乗り入れたころにはピンクに、その後は真紅に変わっている。そしてこの7月からはグリーンと黄色にチェンジすることが発表された。
「ベトナムでは特別なお客さまをおもてなしする際に、伝統のアオザイを着る習慣があるんですよ」と、日本人クルーが説明してくれた。 「私たちの制服も、一人ひとりにピッタリのサイズに作るため、採寸は20~30カ所にもおよびます。日本の着物のように美しく見せるため、所作やマナーにも厳しいですね。床に落ちたモノを拾う時は、特徴的な長い裾に手を添えて、乱れのないように気を配ったり。新人訓練では、そんな立ち居振る舞いの練習を繰り返し行いました」。
サービスのスタイルも個性的だ。私はそれを「フランスと日本とベトナムの合作サービス」と呼んでいる。ベトナム航空はもともとエールフランス航空から機材の提供を受け、同時に客室乗務員も派遣されて運航をスタートした。そのため、サービスにはフランス流が色濃く根づいている。
その後、日本路線が開設されると、他のエアラインで経験を積んできた日本人クルーを積極的に採用。彼女たちは日本人独特のきめ細かなサービススタイルを社内で提案するようになった。もちろん、本来のベトナム流のサービスというのもある。素朴で、のんびりしていて、いつも笑顔を絶やさない。そんなベトナムの伝統とフランス流、日本流がミックスされて、世界でも類を見ない独特のサービスが完成しているのだ。
VN319便は台湾の南部をかすめ、南シナ海上空を順調に飛行している。やがて前方に、インドシナ半島の海岸線が見えてきた。タテに細長い地形のベトナムは国土の半分が海に面し、ホーチミンとハノイという同国を代表する南北の都市の中間にいくつもの隠れ家的なリゾートが点在する。
中部の代表的な都市であるダナンにこうして日本からダイレクトにアクセスできることで、旅の可能性は大きく広がった。かつて南北を隔てていた17度線を境に、今回の旅で訪ねたホイアン、フエ、ドンホイの街や見どころを次回詳しく報告しよう。
取材協力: ベトナム航空
※記事中の情報は2015年5月取材時のもの
筆者プロフィール: 秋本俊二
作家・航空ジャーナリスト。東京都出身。学生時代に航空工学を専攻後、数回の海外生活を経て取材・文筆活動をスタート。世界の空を旅しながら新聞・雑誌、Web媒体などにレポートやエッセイを発表するほか、テレビ・ラジオの解説者としても活動する。『航空大革命』(角川oneテーマ21新書)や『ボーイング787まるごと解説』『これだけは知りたい旅客機の疑問100』(ソフトバンククリエイティブ/サイエンスアイ新書)など著書多数。