女優の釈由美子(37)が、11日に放送されたテレビ朝日系トーク番組『徹子の部屋』(毎週月~金12:00~12:30)にゲスト出演し、今年1月に他界した父との思い出を語った。
釈の父は、今年1月10日に肺腺がんで他界。享年66歳だった。昨年10月に余命半年と宣告され、「ステージ4で手術も抗がん剤も手の施しようがないくらい全身に転移していました」。そこからわずか3カ月での死別は、釈にとっては「あっという間」だった。がんが判明する2週間前には、一緒に奥穂高岳に登るほど「ピンピン」していたという。
釈は箱根に建てた温泉付きの別荘を両親にプレゼントしていて、父はそこに約2年前から住んでいた。通院先は沼津のがんセンターで、釈は舞台の全国公演中にもかかわらず終電で東京に帰り、車で箱根に到着するのはだいたい深夜3時。翌朝7時に病院に連れて行くという生活がしばらく続いた。
その後、仕事の関係で通えなくなり東京に転院。最期は実家で看取った。我慢強かった父が弱音を吐くと「絶対治るから」「大丈夫だよ」と懸命に励まし、あらゆる治療法を試した。父が雲ノ平に登ることを目標としていたことから「お父さん、絶対に行こうね」と呼びかけたことも。危篤になる直前、会話もままならない状態だった父に釈は「先立たれたら、私が山登る意味がなくなるよ。お父さん、いかないで」と声をかけた。すると父は釈の手を強く握りしめ、「お前は山をやめるな」と言った。この約束を「父と唯一つながっていること」と感じている釈は以来、父の遺影と共に山に登り続けている。
ブログでも父との山登りをたびたび報告していた釈。小学生の頃に楽しんでいた家族の山登りは、思春期に厳格な父との距離ができたことによってなくなり、その後の芸能界入りの猛反対がさらに深い溝を生む。仕事としてある程度の成功を収め、父が自営業で抱えた負債の肩代わりをしても応援されることはなかった。釈はその時のことを「応援してくれないのに全部私にのしかかってくるプレッシャーで20代の頃は口も利けないくらいの確執がありました」と振り返る。
30代になり「今の自分があるのは両親のおかげ」と改心。父との溝を埋めようとしたところで舞い込んできたのが、2013年4月から司会を務める番組『にっぽん百名山』だった。登山部出身の父に「山の番組をやることになったよ」と報告したところ、「本当か!」と大喜び。これをきっかけに釈は小学生以来の"山ガール"となり、父との雪解けに至る。
「父の背中は山のように多くを語らずとも、偉大さだったり、厳しさだったり、優しさを語ってくれていて。その父の背中を見て育ったので、山ガールとして復活して父との山登りをきっかけに距離を縮められたことは本当に良かったことだと思います」
放送日となった8月11日は、来年から「山の日」として国民の祝日となることが決まっている。司会の黒柳徹子いわく、スタッフもそのことに気づいていなかったそうで、同番組初出演の釈は「運命を感じます」と笑顔を見せていた。