セカンドステージで7位、年間総合順位では8位と奮闘している湘南ベルマーレ。キャプテンとしてけん引するボランチの永木亮太は、右ひざ半月板のけがを燃えるような闘争心と責任感で駆逐しながら、成長途上のチームの心臓部でいぶし銀の輝きを放っている。
数十個の氷で右ひざを冷やしていた理由
何ごともなかったかのように先発メンバーの一人に名前を連ね、豊富な運動量でピッチを縦横無尽に駆け回り、ファイティングスピリットを前面に押し出しながら攻守両面でボールに絡み続けてきた。
距離にして30メートルはある直接フリーキックを鮮やかに沈め、今シーズンの初ゴールをマークしたのが5月23日の清水エスパルス戦。実はその直前に行われた練習で、永木は右ひざを痛めていた。
それでも、累積警告で出場停止だった6月7日の川崎フロンターレ戦を除いた全9試合で、背番号「6」は先発出場。後半33分でベンチへ退いた松本山雅FCとのファーストステージ最終戦以外は、試合終了を告げる主審のホイッスルが鳴り響くまでチームに推進力を与え続けてきた。
その間、右ひざにはテーピングが厳重に巻かれていた。試合後には数十個の氷が詰め込まれたビニール袋で患部を冷やしながら、取材エリアでキャプテンとしてメディアに応対してきた。
勝利だけを目指して、無我夢中でプレーしていた反動が出ていたのだろうか。右足を痛々しく引きずっていたことがある。けがの程度を聞くと、笑顔とともにこんな言葉が返ってきたこともある。
「いいときと悪いときがあるんです。試合が終わった後は、水がたまることもあるので」。
右ひざの痛みに耐えて決めた同点ゴール
2対1で勝利した名古屋グランパスとのセカンドステージ開幕戦。永木が担うことが多かったコーナーキックを蹴っていたのは、チーム随一のタフガイFW高山薫だった。
ファーストステージではほとんど見られなかったシーン。その理由を、チームトップの6ゴールをあげている高山は笑いながらこう答えている。
「まあ、そういうこともあるんですよ」。
おそらくは永木の右ひざに、必要以上の負担をかけないための一時的な役割変更だったのだろう。グランパス戦から4日後。7月15日に行われたヴィッセル神戸戦後に、永木自らが右ひざの状態を明かしてくれた。
「半月板を痛めてしまったんです。軽く傷が入った感じですけど、清水戦から探り探りでやってきて、いまはそんなに問題はありません。いい方向に向かっています」。
もしも右ひざの痛みがプレーに悪影響を与えていたのならば、チョウ・キジェ監督は永木を先発メンバーから外していたはずだ。練習の段階からベストのパフォーマンスを演じ続け、心技体のすべてで問題がないと判断されたからこそ、永木は常にピッチに送り出されてきた。
果たして、敵地でのヴィッセル戦は1対1のドロー。前半31分にペナルティーエリアの外から右足で同点弾を決めたのは永木だった。
セカンドステージで感じている大きな手応え
2013年のオフにセレッソ大阪、昨年のオフには鹿島アントラーズからオファーを受けた。そのたびに熟慮を重ねて、永木はベルマーレ残留を決断してきた。
チームへの愛着。キャプテンとしての責任感。フロンターレのジュニアユース時代に高山とともに熱血指導を受け、ベルマーレで再び巡り合ったチョウ監督の存在。残留した理由はこれらだけではない。
成長するためのベストの選択とは何か。自問自答を繰り返した先に、おのずと結論がはじき出された。中央大学4年時に、JFA・Jリーグ特別指定選手として登録された2010年を含めて6シーズン目。27歳になった永木はいま、自身とチームの戦いぶりに充実感を覚えている。
「個の特徴を生かしてくるチームに対して、粘りながら勝てたことに対して手応えを感じている。いままでの反省を生かしているからこそ今日がある。その意味では、メンタル的にも成長できていると思う」。
ファーストステージで0対3と完敗したグランパスに雪辱を果たした後にこう語った永木は、キックオフ前に2位につけていた柏レイソルに3対0で快勝した7月29日の第5節後、再び言葉を弾ませた。
「全員がやるべき役割を果たして、危ないシーンもなかった。中盤でもほぼ完璧にできたと思うし、すごく満足しています」。
セカンドステージで上方修正された目標
グランパス戦で白星を手にした瞬間に、2年前にJ1を戦ったときの「6勝」を早くも超えた。J1に「住む」こと、つまり定着を合言葉にすえて迎えた今シーズン。ファーストステージを10位で終えたベルマーレは、目標を上方修正してセカンドステージに臨んでいる。
「7勝以上という目標を掲げているんです」。
17試合で7勝という意味ではない。「以上」という言葉に込めた思いを、永木が説明する。
「7勝して先が見えたら、最大目標としてACLの出場権獲得を目指そうということです。そういう目標をもっていいと思うし、このセカンドステージを来年、再来年へつなげる戦いにしたいので」。
来シーズンのACL出場権は、年間の総合順位の上位3チームに与えられる。レイソル戦での勝利で年間総合勝ち点を「30」に到達させたベルマーレは、総合順位でも8位に浮上した。
上位にいるのはサンフレッチェ広島、浦和レッズ、FC東京、ガンバ大阪、川崎フロンターレ。いずれもファーストステージで勝てなかった相手だけに、永木は闘志を高ぶらせる。
「これから厳しいチームとの対戦が多く残っているので、そういう相手から勝ち点3を奪う力をつけていきたいし、最低でも勝ち点1を取れる試合をしていきたい」。
ゼロに近づきつつある右ひざへの恐怖心
レイソル戦を終えた永木の右ひざには、氷を詰めたビニール袋が巻かれていなかった。
「最近はアイシングをしないようになりました。水がたまらなくなってきたので。テーピングもあとちょっとで必要なくなると思います。練習からなしでできれば、試合でも大丈夫だと思います」。
サッカー選手にとって、ひざのけがは選手生命を左右しかねない。永木の心の片隅に、状態を悪化させることへの恐怖心がなかったと言えばうそになる。実際、「怖さ」に対してこんな言葉を聞いたこともある。
「ゼロではないですね。それでも、限りなくゼロに近づいてはきていますけど」。
日本代表が東アジアカップに出場する関係で、次節のエスパルス戦まで約2週間、J1は中断となる。レイソル戦後には2日間の休養が与えられた。プレーとメンタルの両面でベルマーレをけん引してきた永木へ、スケジュール面でも追い風が吹いている。
「ここは前へ行く、行かないという判断もできている。レイソル戦でも3点目を取った後は、ゲームを締めにいこうとみんなで話をしていた。その意味でも、個人個人がしっかりとできていると思う」。
J1の荒波にもまれながら、「少年」から「大人」への階段を少しずつのぼっているベルマーレ。その中心に、173cm、65kgのボディーにいぶし銀の輝きと真っ赤な闘志を同居させる永木がいる。
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筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)
日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。