女子ワールドカップで準優勝した余韻が残るなかで、なでしこたちは新たな戦いに臨んでいる。大会中に右サイドバックの定位置を射止め、眩(まばゆ)い脚光を浴びたシンデレラ・有吉佐織(日テレ・ベレーザ)は、謙虚さを失うことなく次なる目標へ向かって走り続ける。
街中を歩いているときにかけられた言葉
人生で初めての出来事が続く。オリンピックを含めて、これまで無縁だったビッグトーナメントの舞台に立った。その女子ワールドカップで、なでしこジャパンにおける初ゴールを決めた。
大会MVPにノミネートされた8人のなかに、キャプテンのMF宮間あや(岡山湯郷Belle)とともに名前を連ねた。まだ記憶に新しいアメリカ女子代表との決勝戦では、開始16分間で4ゴールを奪われる猛攻の前にぼう然と立ち尽くした。
まるでジェットコースターのように目まぐるしい変化を遂げた有吉のサッカー人生は、7月7日に帰国した後もいい意味でのサプライズに直面している。
例えば地元の街を歩いているとき、すれ違ったスーツ姿の男性や年配の女性からこんな声をかけられた。
「あっ、有吉だ」。
「このあたりに住んでいるんですか」。
カナダの地でまばゆいスポットライトを浴びたシンデレラは、そのたびに笑ってこう返している。
「はーい、有吉です」。
自らの実力で変えた日常の光景に、佐賀県生まれの27歳は初々しく照れ笑いを繰り返した。
「街中ではあまりなかったことなので。準優勝で終わったんですけど、帰国してからも『おめでとう』という言葉をいただくことが多くて元気をもらっているというか、救われています」。
リーグ再開初戦で託されたキャプテンマーク
帰国から5日後の7月12日。茨城県のひたちなか市総合運動公園陸上競技場で行われた、ASエルフェン埼玉とのなでしこリーグでも、有吉は人生で初めての大役を担っている。
左腕に黄色いキャプテンマークを巻き、先頭で入場してきたのは有吉。キャプテンのDF岩清水梓が累積警告で出場停止だったことを受けての拝命だったが、舞台裏では“ひと勝負”が繰り広げられていた。
ベレーザの森栄次監督は、まずは副キャプテンのMF阪口夢穂を指名した。
「私、やらへんよ」。
大阪出身の27歳が断りを入れると、もう一人の副キャプテンの有吉も恐れ多いと辞退する。「それでジャンケンで決めたんです」と有吉が笑顔で打ち明ける。
「勝ったほうがキャプテンになる『男気ジャンケン』ですね。私がグーでミズホ(阪口)がチョキ。負けたミズホのほうが喜んでいました」。
試合は前半32分にあげた先制点を守り抜いたベレーザが勝利した。全体練習に合流してからまだ3日目。阪口とともに先発フル出場した有吉は感謝の思いを口にした。
「キャプテンマークが重すぎて、前半途中でずり落ちちゃって。まだまだそういう器じゃないと思いましたけど、勝ちにつながってよかったし、本当にいい経験をさせていただきました」。
憧れてきた近賀ゆかりから託されたバトン
日本体育大学からベレーザに加入した2010年。鹿児島・神村学園の中等部時代からFWとして活躍してきた有吉は、サイドバックへコンバートされた。
「私が入ったときは日本代表選手ばかりだったので、サイドバックとして紅白戦に出られるだけでもありがたいというか。難しかったですけど、与えられたポジションで頑張るだけでした」。
謙遜する有吉だが、当時の事情は異なる。ベレーザにはテクニックに長(た)けた選手をサイドバックで起用する伝統があった。2010年も一時的に指揮を執った森監督が振り返る。
「僕の前の監督が転向させたんですけど、ちょうど左サイドバックがいなかったんですよ。いまのサッカーはサイドバックがゲームを作り、ゴールも狙いますからね」。
当時のベレーザの右サイドバックには、近賀ゆかり(現INAC神戸レオネッサ)が君臨していた。大学の、そしてなでしこジャパンの大先輩は、有吉の憧れであり永遠の目標でもあった。
左右両方のサイドバックでプレーできるユーティリティーさを武器に台頭し、なでしこジャパンでデビューを果たしてから3年半。近賀はカナダの地で、世代交代のバトンを3歳下の有吉に託している。
「アリ(有吉)だったら任せられると思いました」。
仕事とサッカーを両立させる日々を楽しむ理由
アメリカ戦後に近賀の言葉を伝え聞いた有吉は思わず号泣し、帰国した後も声を震わせた。
「今大会で私がスタメンとして出ることになっても、近賀さんからは温かい言葉やアドバイスをいただきました。近賀さんの存在があったからこそ私は頑張ることができたんです」。
神村学園時代の猛練習で培われた無尽蔵のスタミナ、FW出身ならではの多彩なテクニックと得点感覚、そして激しいファイティングスピリット。159cm、52kgの小さな体に搭載された武器を全力でぶつけるスタイルが、テレビ越しに応援したファンを魅了した。
待遇はアマチュア契約で、ベレーザからの報酬はゼロ。普段はフットサルコートで受け付けを務めながら生計を立てている境遇も、見ている者の胸を打った。
もっとも、有吉自身は周囲が思うほど現状を「つらい」とは思っていない。
「大変というか、職場にはいろいろと優遇していただいていますし、楽しくお仕事をさせていただいています。職場の方もサッカー関係者が多いのでいろいろなお話もできますし、本当にお世話になっているので」。
遅咲きの花を咲き誇らせても謙虚さを失わない有吉の姿に、森監督も目を細める。
「上からも下からも好かれる存在ですよね。僕としてもうれしい限りです」。
ブームを文化として定着させるために必要なこと
Jリーガーと比べて、女子サッカー選手は待遇面でも環境面でも大きな差をつけられてきた。不況のあおりを受けた10年ほど前には、国内リーグが存亡の危機に直面していた。
だからこそ彼女たちは大好きなサッカーができる日常に心から感謝し、「頑張れば必ず未来を変えられる」とサッカー界の未来を背負う。ひたむきかつ健気(けなげ)で、それでいてプレッシャーや悲壮感を漂わせない姿がファンを魅了する。
その象徴といっていい有吉はいま、宮間が発した「女子サッカーをブームではなく文化へ」というメッセージを、自分なりの答えを添えたうえで真正面から受け止めている。
「来ていただいたお客さまに『また見に来たい』と思ってもらえるようなサッカー、あるいはチームにならないといけない。結果にこだわりながら、質の高いサッカーを続けていくこと。サッカー選手としても人としても、憧れられるような存在になりたいと思います」。
14日からは職場に復帰した。午前10時から午後3時半まで勤務し、一度帰宅して準備を整えてから夜に行われる練習へ通い、夜の10時過ぎに家路に着くいつもの日々が始まる。
ベレーザ側はプロ契約を検討しているが、たとえ待遇が好転したとしても有吉の一途(いちず)な姿勢は変わらない。ひとつずつ、コツコツと。努力を積み重ねた先に待つさらに明るい未来へ向かって、有吉は周囲への感謝の思いを心に刻みながら走り続ける。
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筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)
日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。