ちらし寿司は倹約によって生まれた?

ちらし寿司の起源は諸説ありますが、その1つに1600年代の倹約令とするものがあります。海産物をふんだんに使い、錦糸卵などで飾ったちらし寿司は、現在では、比較的高級感のある食べ物とされていますよね。その起源が、正反対のイメージである倹約令にあるとは意外です。

倹約令が発布されたのは、1654年に備前 (現在の岡山県) が大きな洪水に見舞われたことによります。藩主である池田光政は、復興のために民に「一汁一菜」の倹約令を発布したとか。食事を著しく制限された民は、なんとかおいしく食事を……と、副菜としていた野菜や魚料理をご飯に混ぜ込み、一菜としました。これが、後の岡山名物「ばらすし (ちらし寿司の一種)」の原型だと言われています。

今日はその倹約令を発布し、ちらし寿司の誕生のきっかけを作った人物、池田光政の命日であることから「ちらし寿司の日」とされたそうです。

ちらし寿司には関東風と関西風がある?

ちらし寿司と言われて、思い浮かべるものは、どんなものでしょうか?

実は、ちらし寿司もおせち料理のように地域性があります。関東では、ちらし寿司の上にさいの目に切った刺身などをのせるケースが多いようです。関西では生ものはあまり使わず、椎茸 (しいたけ) などを使用します。他にも京風のちらし寿司などもあり、地域によって具材が変わります。

ちなみに6月27日はちらし寿司の日のほかに、以下のような記念日にもなってます。

・日照権の日
・演説の日
など

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