江戸時代、きらびやかで華々しく、庶民にとって憧れのまとだった遊女。中でも、特に美麗で才色兼備な、いわゆる遊女界のトップスターだった遊女たちには、何かと伝説が残っています。そこで今回、そんなトップ遊女たちの伝説とともに、彼女たちの恋愛模様をひもといてみましょう。
天性のカリスマ「勝山太夫」
ひとりめは、銭湯で様々なサービスをする女性・湯女(ゆな)から転身したトップ遊女の「勝山」。江戸随一のファッションセンスをもっていた彼女は、女性にも男性にも同業者の遊女たちにとっても憧れの存在で、彼女が流行らせた文化は数知れません。
まず、彼女のしていたヘアスタイル。「勝山髷(まげ)」と呼ばれ、髷の部分が細く、武家風になっているのが特徴でした。そのヘアスタイルの誕生にはある逸話が残っています。
勝山が花魁道中をしている最中、ある男が勝山をふり向かせるために彼女の元結(今でいうヘアゴム)を切ってしまったため、髪型が崩れてしまいました。しかし、彼女は慌てず騒がず、懇意の床屋に寄って髪を巻き、簡単にかんざしで留めた新しいヘアスタイルにすると、何事もなかったかのように花魁道中に戻った、と伝えられています。
そんな彼女の冷静な姿に憧れたのか、遊女の中でこの時の髪型をまねするものが出てきました。するとたちどころに広まり、武家の奥方や庶民の女性にまで浸透しました。
勝山のファッションをまねしたのは、なにも女性だけではありません。ボーイッシュな服装を好んでいた勝山は、男物の着物「どてら」を改良し、着崩した「勝山風」と呼ばれるスタイルをしていました。これが男性に大ウケ。瞬く間に大流行し、世の男性はこぞってこの勝山風をまねしたのでした。
さらには、帯や雪駄、鼻緒にいたるまで、彼女の名前がついたスタイルが確立されたとか。勝山はまさに江戸を代表するファッションリーダーだったというわけですね。
そんな江戸のトップモデル・勝山ですが、恋愛には無関心で誰にもなびかなかったんだとか。彼女は女性であることを武器にしていながらも、女性のはかなさや立場の弱さを1番嫌っていたのではないでしょうか。だからこそ彼女は男装を好み、男性にこびない生き方を貫いたのでしょう。
男性に頼らずとも生きていける女性になることが勝山の夢だったのです。その証拠に勝山は身請けをされず、年季明け後は遊女からすっぱり足を洗って行方をくらませたそうです。
遊郭史上最高の身請け額となった「仙台高尾」
続いては「仙台高尾」。高尾とは遊女の歴史の中で最も高名な源氏名で、遊郭内で代々受け継がれ、11代も続いたのだそうです。そんな高尾の中でも特に有名なのが、仙台藩主・伊達綱宗(つなむね)に身請けされた仙台高尾です。彼女は遊郭史上最高額で身請けされました。
身請けとは、お金を払って遊女の身柄をもらい受ける行為のことを指します。その時に払うお金は、遊女の借金と年季明けまでの稼ぎ高を計算した額で、身請けは遊郭一番のもうけ話と言われるほど高額でした。中には、ここぞとばかりに雇い主がありえない金額をふっかけることもあったとか。
仙台高尾の身請け話の際に雇い主が出した条件は、体重分のお金を払うというものでした。そこで一計を案じた雇い主は、店中のありとあらゆる着物や飾り物を彼女につけさせて、体重測定を行いました。その結果、なんと身請け金は約5億円にものぼりました!
そんなにぼったくったら、身請け話も破談になってしまうんじゃないの? と思いますが、綱宗はきっちり全額を支払い、念願の仙台高尾を手に入れました。しかし、それだけの寵愛を受けたにも関わらず、彼女は生涯一度もなびかなかったらしく、怒った綱宗に船上で吊し斬りにされたのです。
当時、名のある遊女を身請けすることは男性のステータスでした。きっと、仙台高尾を身請けした綱宗も、トップ遊女・高尾を手に入れたという名声が欲しかっただけなのでしょう。綱宗が仙台高尾を本気で愛していたのなら、なびかない彼女を殺したりしないでしょうし、仙台高尾も少しは心を許していたはずです。
彼女が殺されてもなお綱宗になびかなかったのは、自分は高額で買われた商品ではなく、立派なひとりの女性だという主張を貫くためだったのではないでしょうか。女性として、ひいては人としてのプライドを守って殺された仙台高尾は、ある意味で幸せだったのかもしれません。
玉の輿よりも真実の愛のために果てた「小紫」
身請けにまつわる遊女として、もうひとり有名なのが「小紫」です。彼女は和歌がうまく、また、性格も優雅でとても優しかったため、平安の和歌の名手である紫式部になぞらえて小紫と呼ばれたんだとか。そんな彼女のもとには、足しげく通う男性が後を絶ちませんでした。
多くの男性を虜にした小紫には、実は平井権現という本命がいました。2人は来世を誓い合った仲だったのですが、一介の藩士である権現には江戸イチの遊女、小紫を身請けするほどのお金は払えず。そればかりか、遊郭に通うお金すら次第になくなっていきました。困った権現は、金策のため強盗やつじ斬りなど悪事に手を染めるようになってしまい、ついには捕まって処刑。なんとも悲しい運命です。
一方、小紫はさる大尽から条件のいい身請け話が持ち上がったため、望まない身請けを強いられることとなったのです。悲しみに暮れた小紫は、身請けされた当日に権現の墓前で自害したのだとか。その場所には今も、彼女を弔う石碑が残されています。
とは言え、身請けはいわゆる玉の輿。小紫は本命を選んで自害しましたが、素直に身請けを受けていれば大金持ちになったわけです。そもそも、遊女は貧しい家の出が多いため、玉の輿への願望は人一倍あるはずです。これ以上、身体を売らなくて済む上に一生遊んで暮らせるのですから、普通なら断る理由はありません。
いかがでしたでしょうか。男性に頼らない自立した女性を貫いた「勝山太夫」、歴史に残る身請けでありながら女性のプライドを通した「仙台高尾」、玉の輿よりも真実の愛のために自害した「小紫」。三者三様の生きざまをみてきましたが、共通して言えるのは自分の信じた幸せを追い求めていたことではないでしょうか。幸せのカタチは人それぞれですが、そんな遊女たちのように、現在の私たちも筋の通った覚悟を持ってかっこよく生きてみたいものですね。
※写真はイメージで本文とは関係ありません(c)Flickr/Keisuke Makino
筆者プロフィール: かみゆ歴史編集部
歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史全般、世界史、美術・アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『一度は行きたい日本の美城』(学研パブリッシング)、『日本史1000城』(世界文化社)、『廃城をゆく』シリーズ、『国分寺を歩く』(ともにイカロス出版)、『日本の神社完全名鑑』(廣済堂出版)、『新版 大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)など多数。また、トークショーや城ツアーを行うお城プロジェクト「城フェス」を共催。
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