なでしこジャパンが連覇をかけて臨む、女子ワールドカップ・カナダ大会が日本時間6月7日に開幕する。日本中を感動させた戴冠から4年。得点王とMVPを獲得して日本をけん引したレジェンド、MF澤穂希を36歳にして再び光り輝かせている3つの理由を探る。
胸を打ち、魂をも震わせる澤の言葉
胸を打つだけではない。魂をも震わせる。本人は意識していなくても、澤の言葉や立ち居振る舞いはともにプレーする仲間たちに特別な力を与える。
なでしこジャパンが世界一になる前のこと。北京五輪のベスト4進出をかけて、開催国・中国と対戦する直前だった。スタンドは中国のサポーターで真っ赤に染まり、誰もが大苦戦を覚悟していたなかで澤はこんな言葉を発している。
「苦しくなったら私の背中を見て」。
果たして、運命の準々決勝は2対0でなでしこが制する。後半26分に先制点をあげて、流れを引き寄せたのは澤だった。
あれから7年。澤の頼もしく、そして偉大な背中が再び存在感を増しつつある。約1年間に及ぶブランクを超えて、女子ワールドカップ・カナダ大会に臨む代表メンバーに招集されたのが5月1日。佐々木則夫監督はレジェンドを復帰させた理由をこう語った。
「所属チームにおけるパフォーマンス、90分間の集中力、チーム内の誰よりも多く体を張ってスライディングをする意欲。惜しみなく体を張って戦う澤選手の姿勢はなでしこのそれであり、少し臆(おく)している他の選手への模範になる。戦えるチームを構成していく上では、澤選手の現在のパフォーマンスは問題ないということで選考しました」。
恩師と盟友が一掃してくれたストレス
全日程の半分を消化した今シーズンのなでしこリーグ・レギュラーシリーズで、澤は全9試合に先発フル出場。首位で折り返したチームを力強く引っ張っている。
9月には37歳になる澤を、心身両面で輝かせている要因は3つある。まずは所属するINAC神戸の体制が、このオフに大きく刷新された点だ。
昨シーズンのINAC神戸は度重なる監督交代もあって、開幕から不振を極めた末にリーグ連覇が「3」で途絶えた。歩調を合わせるかのように澤のパフォーマンスも精彩を欠き、シーズン終盤には右足首、右ひざを相次いで故障してしまった。
「負けを認めて、一からやり直さないと。自分もまだまだやらないといけない」。
捲土(けんど)重来を期した今シーズン。INAC神戸は日テレ・ベレーザ時代に澤を指導し、いまも恩師として慕われている松田岳夫氏を新監督として招聘(しょうへい)。FW大野忍とDF近賀ゆかりが復帰し、DF鮫島彩もベガルタ仙台レディースから加わるなど、なでしこでともに戦った盟友たちが勢ぞろいした。
無冠に終わったどん底から一転、格段と上がったチーム力が、澤が抱え込んでいたストレスを一掃してくれたのだろう。オフのリハビリでけがも完治。開幕から大暴れする要素は整っていたわけだ。
空き番としてきた『10』番に込められた配慮
次は佐々木監督の配慮となる。なでしこがワールドカップ出場権を獲得した昨年5月のAFC女子アジアカップを最後に、澤は代表から遠ざかっていた。ワールドカップ本番を想定した10月のカナダ遠征で澤を招集しなかった際には、指揮官はこんな注文もつけている。
「クラブでのパフォーマンスをもうちょっと上げてほしい」。
一方で、通し番号での参加を義務づけられていた韓国・仁川アジア大会を除いて、すべての代表招集時で澤の代名詞でもある背番号『10』を空き番としてきた。
ワールドカップの前哨戦と位置づけられている、今年3月のアルガルベカップで澤を復帰させるプランを描いていたが、故障が癒えたばかりという点を勘案して最終的には見送っている。このときも背番号『10』を空けていた理由は、澤へのリスペクトを貫いていたからに他ならない。
現役選手である以上は、誰でも代表に憧憬(しょうけい)の念を抱く。昨年の状態で日の丸を背負えば、気持ちがはやるあまりに、心身のコンディションをさらに崩す悪循環に陥るおそれもあった。
年齢的な負担も考慮しながら、さらには澤不在の間に他の選手たちの底上げを図る狙いも込めて、あえて1年間の空白期間を設けていたと見ていいだろう。
6大会連続にして最後となるワールドカップ
最後はワールドカップにかける澤の熱い思いだ。カナダの地でピッチに立てば、6大会連続のワールドカップ出場となり、男子を含めて史上初の快挙を達成するが、澤はさまざまなメディアでこうも明言している。
「自分のなかでは最後のワールドカップだと思っているので」。
15歳で代表デビューを果たしてから20年。国内リーグが存亡の危機に直面した冬厳の時代を含めて、女子サッカー界を支えてきた澤が「最後」という言葉を使うのは初めてとなる。5月18日から始まった代表合宿では、澤はこんな言葉を残してもいる。
「みんなに声をかけるのもそうですけど、ボールを奪うときに体を張ってスライディングするとか、得点を取るとか、私としてはそうやって背中で見せることが役割だと思うので」。
いま現在をともに戦う仲間に対してだけではない。後に続く世代へ。そして、未来を担う子どもたちへ。なでしこジャパンが永遠に前進し続けていくからこそ、カナダの地からプレーを通して伝えたいものがある。
「簡単ではないけど、やる以上は一番きれいな色のメダルを取りたい」。
積み重ねてきたすべてを置き土産としたい――。なでしこでも際立つ存在感を放つ澤へ、佐々木監督も「まだまだ彼女の背中を見て学ぶことがある」と全幅の信頼を寄せている。
日本時間6月9日に達成される金字塔
いざ、集大成の戦いへ。ニュージーランド女子代表とイタリア女子代表を迎えた壮行試合で、澤は何事もなかったかのように『10』番を背負って先発を果たした。
ニュージーランド戦で樹立したなでしこジャパンの歴代最年長出場記録は、イタリア戦で36歳264日に更新された。ニュージーランド戦の前半24分に右足ボレーでたたき込んだ代表通算83ゴール目は、ラモス瑠偉の36歳85日を上回る、男女を通じた日本代表史上での最年長ゴールとなった。
「いままでにない記録ということで、すごく光栄です。1点でも多く積み重ねていきたい」。
ちなみに、通算ゴール数においても4年前の時点で不世出のストライカー、釜本邦茂の75ゴールを抜き去って歴代1位にランクされている。試合に出場するたびに刻まれる伝説。ニュージーランド戦を澤の一発で勝利したこともあり、偶然にも57歳の誕生日を迎えた佐々木監督も思わず冗舌となった。
「澤に『神』が降りてきました」。
チームは千葉県内で最終調整を積み、6月1日にいよいよ決戦の地カナダへ向かう。日本時間6月9日午前11時にキックオフを迎える、スイス女子代表とのグループリーグ初戦のピッチに澤が立ったとき、国際Aマッチ出場試合数はこれまた前人未到の「200」に到達する。
写真と本文は関係ありません
筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)
日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。