普段はどんな男性も軽くあしらっていた遊女も、本気の恋は命がけだった

江戸時代、性的なサービスだけでなくウソの恋をマコトにして売る擬似恋愛を提供していた遊女は、いかにして男性に「この恋は本物だ! 」と思わせられるかが腕の見せどころでした。一方、遊女たちにも本気になる恋がありました。いわゆる「本命」ですね。

そんな遊女たちを夢中にさせた男性たちを「間夫(まぶ)」と言います。では、間夫とはいったいどういった人たちだったのでしょうか。

遊女もダメ男の優しさに弱かった

遊郭で遊女と遊ぶには、一晩で160万円以上もかかったと言われています。そんなに高かったら庶民はおいそれと行けるはずありませんよね。なので、遊郭での主な客層は武士や豪商、文化人といったようないわゆるエリートたちでした。

となると、遊女を本気にさせた相手は政府お抱えの偉い先生? それとも出世頭のエリート武士?? いえいえ。実はなんと! 「年季明け(遊女が27歳になり自由の身になれること)には嫁になってよ」とかなんとか上手いことを言って、遊女をその気にさせてはたぶらかしていたようなダメ男が多かったようです。

あんなにエリートたちと出会えるのになんで……。そう思ってしまいますが、毎日仕事で賢い人たちの相手をする遊女たちにとっては、ダメ男の優しさがうれしかったのかもしれません。しかし、そんなダメ男たちの優しさなんてしょせん口先だけ。本当に嫁にもらってくれるはずもなく、実際は寂しく年季明けを迎えて終わり。

中には、間夫が遊ぶお金を自らの貯金をはたいてまで出していた遊女もいたようですから、目も当てられません。やはり、いつの時代も口先だけの男性には注意した方が懸命なようですね。

「身請け」は5億円にも!

しかし、間夫の中にも本気で遊女をもらい受けようとしてくれる男性はいました。そんな人たちがとる方法が「身請け」というのですが、それには途方もなくお金がかかり、ある時は現在の価値で5億円にもなる身請け話もあったくらい。

また、金額以上に問題となったのが江戸時代の恋愛観。当時は誰しも親が決めた許嫁がいて、自分で決めた相手との結婚なんてもってのほかでした。なので、身請けができるのは、人生もお金も自分の好きなようにできる余暇を楽しんでいるような人だけだったのです。

本当に命をかけた恋の行く先

身請けしてくれるほど裕福でもない。遊女を嫁にしても周りを黙らせられるような地位もない。そんな間夫でも一緒になりたい! そう考えた遊女がとった行動は「心中」です。男女が共に自害することで相手に命を捧げるのですが、心中は法律として禁止され、失敗した男女にはさらし首という重い刑罰が定められていたのでした。つまり、成功しても失敗してもどのみち命を落とすことになるのです。

それに加え遊女の場合、抜け出す場所は高い塀で囲まれた遊郭。しかも、ひとつしかない門には門番がおり常に目を光らせていたので、成功率はほぼゼロでした。

そんな状況でも、遊女はこぞって心中をしようとしました。それは、心中が好きな人と一緒になれる方法だったということに加え、いくつものタブーを犯すことで本気を確かめられたからなのではないでしょうか。

遊女たちから学ぶこと

つまるところ、遊女がいくら本気になったとしても、本命と一緒になれるかは財力次第だったのです。恋愛においてプロフェッショナルな遊女でも、こればかりはどうにもなりません。しかし、本命の相手には小細工をせず、文字通り命がけになります。周りの人間からしてみると、それが口先だけの男性でないことを祈るばかりでしょう。

さて、ここで現代に立ち直ってみましょう。今でも周りに反対されるような困難の多い恋は燃えると言いますよね。でも、燃えるのは許されざる恋だからこそ。いざ一緒になってみると、「こんなはずじゃなかった! 」なんてことは少なくありません。燃え上がっている時だからこそ、一度冷静になってみることが必要なのかもしれませんね。

遊女たちの失敗を生かして、私たちは上手に恋を楽しみましょう!

※写真はイメージで本文とは関係ありません (c)Flickr/Suzumiya Haruka

筆者プロフィール: かみゆ歴史編集部

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史全般、世界史、美術・アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『一度は行きたい日本の美城』(学研パブリッシング)、『日本史1000城』(世界文化社)、『廃城をゆく』シリーズ、『国分寺を歩く』(ともにイカロス出版)、『日本の神社完全名鑑』(廣済堂出版)、『新版 大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)など多数。また、トークショーや城ツアーを行うお城プロジェクト「城フェス」を共催。
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