昔ながらのネパールの農村の生活や文化を体験できる「ビレッジ・ツーリズム」や、ヒマラヤの新しいトレッキングルートの開発など、これまでにない新しい観光スタイルに挑戦しているバス・パンディさん。「仕事が楽しいので、休みたいと思うこともない」と仕事一筋。その陰には、事業を拡大することで、仕事の少ないネパールで雇用を増やしたい、という熱い想いがありました。
※編集部注:バス・パンディさんはこの取材後、4月25日の大地震で被災されましたがご無事でした。現在は精力的に故郷の村の支援活動に取り組んでいるとのことです。
■これまでのキャリアの経緯は?
大学在学中は仏具関係のお土産店でバイトをしたり、声がかかればトレッキングの荷物を運ぶポーターをやっていました。当時は日本からの観光客も多かったので、日本語も習っていて、少しではありますが日本語も話せます。トレッキングガイドとカトマンズシティガイドの資格を取ってからは、ガイドとしてトレッキングや市内観光に同行するようになりました。お客様の喜ぶ顔を見て、もっとたくさんの感動を伝えたいと思い、ガイドの経験を何年か積んだあと、2007年に今の旅行会社を立ち上げました。
■現在のお給料は以前のお給料と比べてどうですか?
ネパールの観光業はシーズンによって収入が大きく違いますが……今はまずまず軌道に乗ってきて満足しています。ポーターのバイトの頃は、トレッキングシーズンでないと仕事がありませんし、それも年に数回の長期トレックのみ。お小遣い程度でしたから。
■今の仕事で気に入っているところ、満足を感じる瞬間は?
多くの人との出会いや、仕事とはいえ国内外をあちこち出かけることができることかな。また、旅行という限られた時間の中でいかに楽しんでもらうかを考えるのは楽しいです。今は昔ながらのネパールの農村の生活や文化を体験出来る「ビレッジ・ツーリズム」という取り組みで、これまでにない新しい観光スタイルに挑戦しています。実際に村の家にホームステイし、火起こしからの食事作り、どこの家庭でも飼育している家畜のヤギや水牛の乳搾りや餌やりなど、先進国では失われてしまったけれども、ネパールではまだ普通に営まれている生活を体験してもらおうというものです。
このプログラムのプロモーションで海外に出かける機会も増えて、様々な刺激を受けています。2013年には日本へ行き、京都、東京を観光してきました。
■逆に今の仕事で大変なこと、嫌な点は?
国の情勢不安で、急に旅行スケジュールの変更を強いられてしまうことがしばしばあること。お客様にご迷惑をお掛けしてしまうのは本当に辛いですよ。もちろんそんな時でも、精一杯楽しんでもらえるように手配し、喜んで頂いた時には本当に充実感があります。大変だと思ったことはありません。
■日本人のイメージは? あるいは、理解し難いところなどありますか?
日本へ行った時に感じたことですが、みんな控えめだなという印象を受けます。思ったことをストレートに口に出さず、ちょっと理解し難いなと思うことも。でも、とても親切で、物静かで、やさしくて、ホスピタリティに溢れている。私達ネパール人は見習うべき部分が多いと思います。
■ちなみに、今日のお昼ごはんは?
スタッフに出前を頼んだらこれがきちゃった。料理名はブテコ・チウラかな。"ブテコ"は炒めた、という意味で、"チウラ"はお米を蒸して平たく潰し、パリパリに乾燥させた保存食。ネパールのランチの定番です。
■休日の過ごし方を教えてください。
休みは基本的になく、お客様とのトレッキングや海外へ出ることが大きなリフレッシュメントですね。仕事ですが、ホリデー気分も味わえますもの。今は仕事が楽しいので、休みたいと思うこともないですしね。お寿司やうどんが大好きなので、美味しいものを食べに、また日本にも行きたいです。
■将来の仕事や生活の展望は?
仕事の少ないネパールですから、もっと多くの人を雇って一緒に仕事が出来るように事業を拡大するのが夢です。ネパールの観光業は、旅の手配や宿泊施設の充実に加え、パラグライディングやラフティング、バンジージャンプなどのアトラクション、そして将来的に期待されるヒマラヤの新しいトレッキングルートの開発など、まだまだ沢山の可能性を秘めています。今はまだ旅行とトレッキングの手配が主で、ホテルは湖と間近に望めるマチャプチャレ峰が有名なリゾート地ポカラに一件ですが、将来はチトワンやルンビニ、カトマンズでも宿泊施設をつくりたいと思っています。また、現在支援している孤児院や貧しい子供たちの教育関係のチャリティ活動も、もっと幅広く取り組みたい課題のひとつです。