2015年は阪神タイガースにとって特別な年だ。球団の歴史が始まった1935年から80周年であり、球団史上初の(そして今のところ唯一となる)日本一を達成した1985年から30年、そして最後にリーグ優勝した2005年から10年という節目の年にあたる。

1985年は球団創設50周年に悲願の日本一を達成したのだから、当時の阪神ファン、そして大阪の熱狂ぶりはすさまじかった。以降の30年間、何度もリーグ制覇をしながら頂点に登り詰めることができないのは、「やはり1985年に神懸かり的な何かがあった」と思わざるをえない。

その「何か」こそが阪神のマスコット・トラッキーなのではないだろうか?

1985年に生まれたトラッキーは背番号も1985となっている

伝説の3連発の裏に隠されたもう一つの伝説

日本一の前年(1984年)にリニューアルした甲子園球場3代目スコアボード。その売りでもあった最新式オーロラビジョンを活用すべく、1985年に初めてアニメーションとして登場したのがトラッキーだった。

ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布による「バックスクリーン3連発」という伝説が生まれた1985年に、もうひとつの「伝説」がバックスクリーンで誕生していた、というのが興味深い。

着ぐるみが誕生したのは、その2年後の1987年。名前も公募によって「虎」と「ラッキー」を組み合わせた「トラッキー」(「TO LUCKY=幸運に向かって」という意味もあった)になったわけだが、ここからの道のりはラッキーではなく、アンラッキーの連続だった。

1987年に球団史上2度目となる最下位に転落すると、以降2002年まで16年間連続でBクラス。しかも、そのうち最下位が10度というまさに「暗黒時代」だった。

トラッキーが何かを新しく始めると好成績!?

しかし、トラッキーはめげなかった。当時としては珍しい「バク転ができるマスコット」という特徴を生かして、甲子園球場をところ狭しと暴れ回った。佐伯貴弘(当時横浜)との場外乱闘は「珍プレー・好プレー」のお約束になり、ほかにもトラッキーモノマネのネタにされた選手は数多い。

今やマスコット同士によるバク転対決は球場でのお約束のパフォーマンスだが、これもトラッキーの脅威の運動能力による連続バク転技が、球界のファンを虜にしたからといっても過言ではない。

そんな暴れん坊ぶりが特徴だったトラッキーも、最近は相棒のラッキー(トラッキーの彼女)、キー太(ラッキーの弟)とともに幼稚園や保育園を訪問し、ちびっ子たちとの交流を重ねている。その数は昨年までで300カ所、5万人以上。甲子園球場が満員になるほどの数のちびっ子たちを、阪神ファン、ひいては野球ファンにしてきた功績は大きい。

2011年に誕生し、名前は一般公募で決まったキー太(写真左)。ラッキー(写真右)はもともと妹だったが、彼女へと変わった。

ちなみに、この幼稚園・保育園訪問が始まったのが2003年のこと。阪神タイガースが16年連続Bクラスという屈辱を振り切って、1985年以来となるリーグ制覇を達成した年だ。

となると、1985年の日本一と合わせ、「トラッキーが何かを始めた年の阪神は好成績を残す」というちょっと強引な"法則"に期待したくなるのが生粋の猛虎ファン。節目の年に優勝を目指す阪神を応援するファンは、トラッキーの一挙手一投足に注目しておいたほうがいいかもしれない!?

週刊野球太郎

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