長い歴史を誇るミャンマーには様々な伝統芸能が息づいていますが、なかでも観光客に親しまれているのが操り人形劇。古都マンダレーや仏教遺跡で有名なバガンのような観光地には常設劇場がありますが、ミャンマー最大の都市であるヤンゴンに常設の劇場はなく、レストランでの短時間のステージ、もしくは祭りやイベントで上演されることがあるくらいでした。そんなヤンゴンで気軽に人形劇を楽しめるようにしたのが元船員のキン・マウン・トゥエさんです。その人生はまさに波乱万丈でした。
■これまでのキャリアの経緯は?
幼い頃から伝統芸能好きな母に連れられ、操り人形や芝居などの舞台に通っていたため芸能好きに育ちました。将来はそういう道へ進みたいと思っていましたが、両親が高齢だったため、手っ取り早く稼げる船舶エンジニアになりました。18年間の船員時代に、伝統芸能フリークの妻に出会い、意気投合して結婚。赴任する先々の芸能をともに楽しみました。子どもが小学校に入るのを機に船を降り、一家でミャンマーへ戻る決心をした時、まっさきに考えたのが家族で操り人形の劇場をヤンゴンに開くことでした。当時、観光客が増えつつあったヤンゴンに常設劇場はありませんでしたからチャンスだと考えました。
とはいえ、操り人形遣いの知り合いもおらず、旅行会社のドライバーをやりながら機会をうかがう生活に。祭りにやってきた人形劇団や芸能コンテストの出場者などに声をかけるなどし、3年後の2006年にようやく劇場をオープンさせました。ところが2007年のサフラン革命、2008年の台風ナルギスの襲来などが重なり、観光客が激減。劇場も閉鎖へ。貯金が底をついただけでなく、借金までできる始末。でも幸い、この頃から海外の演劇祭などに呼んでいただけるようになり、そちらで暮らしは何とか立つようになりました。ヤンゴンにいる時は、予約をいただいたお客様の数に従い人形遣いと劇場をアレンジし、公演を開催しています。
■現在のお給料は以前のお給料と比べてどうですか?
船員時代に比べると、今の収入は4分の1といったところ。でも、好きなことを家族とともにやれているので満足しています。
■今の仕事で気に入っているところ、満足を感じる瞬間は?
なんといっても、家族全員が同じものに夢中になれ、いつも一緒にいられること。実は操り人形劇のコーディネートの仕事をするうち、妻は人形の操り方を覚え、今では立派なアーティストに。娘と息子も操り人形好きに育ってくれ、舞台に立っています。10歳の息子はおそらく、現在のミャンマーでは最年少の人形遣いだと思います。
また、ミャンマーが誇る操り人形劇を世界へ紹介していけることも誇らしいです。現在は、海外の演劇祭などのほか、企業や地方自治体などが主催する祭りや催事にも対応しています。政府系の大規模な祭典でパフォーマンスを披露したこともあります。
■逆に今の仕事で大変なこと、嫌な点は?
操り人形劇のBGMは通常はテープを使うのですが、舞台によっては生演奏が必要なこともあります。ここ数年、経済状況が上向いてきたミャンマーでは商業イベントも盛んで、伝統楽器を演奏する楽団の需要も高まっているのですが、操り人形劇の伴奏は他に比べて大変なので楽団に敬遠されがち。手配が年々厳しくなっているのが心配です。通常の演奏と比べると操り人形劇の伴奏は音楽家と人形が息を合わせる必要があり、高い技術と細やかな集中力を必要とします。
■ちなみに、今日のお昼ごはんは?
だいたい昼ごはんは家族で、妻の手作り料理を味わいます。今日はチキンカレーとモヤシ炒め、干し魚とニンニクのふりかけ、モンピャータレというネギや肉が入った甘くないパンケーキです。
■休みのとりかたは?
公演のない日に休みをとっています。休みの日が定まりにくいですが、家族で一緒にやっているので問題ありません。家族揃って芝居や映画を観に行ったり、外食を楽しんだりしています。
■日本人のイメージは? あるいは、理解し難いところなどありますか?
船員時代に日本人と働いたことがありますが、日本人は本当に時間に正確ですね。待ち合わせをしても、ミャンマーは1時間遅れがしょっちゅうですが…。当時の船員たちは時間を決める際、「日本時間」と「ミャンマー時間」を使い分けていました(笑)。私個人は時間を守るのが好きなので、日本人との仕事はしやすかったですね。
■最近TVやラジオ、新聞などで見た・聞いた日本のニュースは何ですか?
地震や津波のニュースが印象に残っています。あれだけ被害に遭いながら、建物や橋をすぐに元通りにしてしまうのには本当に驚きます。
■将来の仕事や生活の展望は?
やはり劇場を再開したいですね。現在は、お客様が12人以下なら自宅に設けたミニシアターで、13人以上になったらどこかの劇場を手配しています。もっと大きな夢を語れるなら、いつかは操り人形センターのようなものを開ければ。人形劇の上演はもちろん、操り人形の仕組みや歴史を紹介する博物館を併設し、世界中からやってくる人たちにミャンマーの操り人形劇を紹介したいんです。
また、息子と娘に望むことは、立派な人形遣いになってほしいということですね。ミャンマー人は苗字をもたないのですが、子どもたち2人ともに、私の名前から「トゥエ」、妻の名前から「ウー」をとった「トゥエウー」という言葉を入れた名前をつけました。私は自分の子どもたちを「トゥエウー第1世代」と呼んでいます。今後、彼らが子どもを持ち、技術を継承し、トゥエウー第2世代、第3世代と続いていってくれればと夢を描いています。