大学受験の時のことを思い出して欲しい。数学の勉強をしていて、「今やっている勉強がこれからの人生で役に立つことはあるんだろうか?」と疑問に思ったことはないだろうか。数学なんて社会に出たら基本的な四則演算ぐらいしか使わないんだから、こんな勉強は受験以外には何の意味もない――そう思って数学の勉強をするのが嫌になってしまった経験がある人は意外と少なくないかもしれない。
実際、高校で勉強した三角関数や微分積分は、理系に進学して一部の専門職にでもつかない限り日常的に使うことはない。しかし、だからと言って数学を勉強する必要がないと思っているのだったらそれは間違いかもしれない。今回紹介する『数学で解ける人生の損得』(志田晶/宝島社/2014年12月/1,300円+税)を読むと、数学的な考え方が人生のいたるところで役に立つことに気づくことになる。
数学を勉強することは、ルールの中で最適な方法を考える訓練である
本書の著者は、東進ハイスクールで数学を教える人気講師である。ものを教えるプロが書いた本だけあって、内容は非常にわかりやすい。そんな数学を教えるプロである著者が言うには、数学は試験よりも日常で役に立つのだそうだ。これはいったい、どういうことなのだろうか。
たとえば、三角関数の問題を解く場合を考えてみよう。三角関数の問題を解くときには、我々はsinやcosといった道具を使ってあるルールの下で最適な判断を下そうと知恵を絞っている。この「ルールの中で最適な方法を選択しなければならない」という機会は、日常生活では無数にある。数学を勉強することで、この「ルールの中で最適な方法を選択する」ための訓練をすることができる。この訓練を詰んでいるのと積んでいないのとでは、人生の損得の判断で大きな差がつくことになる。
ポイントをマイルに変換すべきかどうか、保険に入るべきか否か、都心で自動車を買うべきか、結婚相手をどうやって選ぶか――などなど、僕たちの日常には実は無数の「選択」がある。考えてみると、これらはすべてあるルールの中で最適な方法を選択するという問題にほかならない。このような日常の問題を解決する際には、数学的な考え方が役に立つ。これらの事項についてどうすれば合理的な判断が下せるかの詳細はぜひ本書を読んでたしかめていただきたいので詳述はしないが、普段から物事を決める時に「なんとなく」であったり「直感」に頼っているという人は、読んでみるといろんな発見があると思う。
「ルール」と同時に「目的」も意識する
数学的思考を用いて合理的な判断を下したい場合には、「ルール」だけでなく「目的」も意識する必要がある。数学的思考と聞くとそれさえ使えば誰にとっても最適な唯一の解がビシッと求まるようなイメージを抱きがちだが、日常では「目的」によって解が変わることが少なくない。ルールだけいくら暗記していても、目的がはっきりしていないと合理的な意思決定は難しい。
たとえば、「おつりの最適なもらい方」はその目的によって変化する。505円の買い物をして1,005円を払って500円玉一枚をもらおうとする人は少なくないと思うが、これはあくまで「財布の小銭をなるべく少なくしたい」という目的で選択される解でしかない。その後居酒屋に行って割り勘をする際にスムーズに精算したいという目的があるなら、あえて1万円札を出して1,000円札や小銭をたくさんもらうというというのが最適解になるかもしれない。ルールと目的は、数学的思考によって合理的判断を下す際には両輪のように作用する。日常生活において判断に迷った際には、目的が何なのかも詰めて考えるようにしてみるといいのではないだろうか。
数学ができない人はものを教えるべきではない
本書の最後で、著者は「数学ができない人はものを教えるべきではない」という主張をしている。これはなかなか過激に聞こえるかもしれないが、それなりに理由がある考え方でもある。
数学的思考の訓練を積んだ人は、物事をきちんと体系化し、情報量を圧縮して説明することのできる人だと筆者は主張している。どの教科であっても、この能力は「良い教え手」であることの必要条件だ。これができていない人は、要点を得ずに暗記中心の教え方に陥ってしまう。そのような暗記中心の教え方しかできない人に、ものを教える資格はない。
たしかに、僕自身も学生時代を振り返ってみると、ひたすら「覚えろ覚えろ」と連呼ばかりしている教師の授業は嫌で嫌で仕方がなかった記憶がある。暗記だけでいいのだったら、別に人に教わる必要はない。自分で教科書を読んで覚えればいいだけだ。そういう意味では、数学的思考ができない人はものを教えるべきではないという主張もかなり頷ける。 学生時代に数学が得意だった人も苦手だった人も、本書を読んで「数学的思考」の大切さを考えなおしてみてはいかがだろうか。
日野瑛太郎
ブロガー、ソフトウェアエンジニア。経営者と従業員の両方を経験したことで日本の労働の矛盾に気づき、「脱社畜ブログ」を開設。現在も日本人の働き方に関する意見を発信し続けている。著書に『脱社畜の働き方』(技術評論社)、『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』(東洋経済新報社)がある。