世界が健さんの死を悼んでいる

高倉健さんの死去は中国に大きな衝撃を与えた。中国政府からは異例の弔意が発表され、北京の中国大使館には高倉健さんを悼んで花が届けられたという。高倉健さんは日本人が考えるよりもずっと、中国にとって特別な人物だ。

一世を風靡した「白馬の王子」

高倉健さんが中国に知られるようになったのは1978年「君よ憤怒の河を渉れ」が「追捕」という中国語タイトルで上映されてからだ。「文革後、初めて中国に入ってきた外国映画だった」と記憶している人も多い。

中国版ツイッター「ウェイボー」では、「あの時代、ほとんどすべての女性にとって、高倉健は白馬の王子だったと雑誌で読んだ」と回想されている。「映画はすべての芸術の魅力を越える存在だった」時代、日本からやってきた高倉健さんの映画は見る人すべてを魅了した。

高倉健さんはいくつもの映画に出演しているし、中国の張芸謀監督の「単騎、千里を走る。」で主演をしたこともある。しかし、いまだに高倉健さんといえば「君よ憤怒の河を渉れ」の印象が強い。ウェイボーを利用する若者たちにとっては、父母、祖父母が高倉健さんに夢中になった世代だ。彼らから高倉健さんについての話を聞いて育っている。

「硬漢」として生き続けた人

高倉健さんは中国で"硬漢"と表現されている。"硬骨漢"という意味だ。ハードボイルド小説は"硬漢派小説"と訳される。「ずっと祖父母に『君よ憤怒の河を渉れ』と高倉健の話を聞いていたけど、彼が世を去って初めて本当に彼のことを知った。彼を悼む文章を目にするたびに涙があふれる。本当の"硬漢"として生き続けた人だ」と評価する人もいる。

正直なところを言うと、ウェイボーで日本関係の発言を探す際、日本についての罵詈雑言に類するような発言に出合うことは非常に多い。それを目にせず検索をかけることは不可能だと言ってもいい。しかし、高倉健さんというワードに関してそうした発言は一切ない。誰もがその死を悼み、惜しんでいる。

ある人は語る。「今、日中関係の回復はどんどん難しくなっている。高倉健の時代の日中の蜜月が懐かしい」。

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