クリストファー・ノーラン監督最新作『インターステラー』(11月22日 日本公開)が、11月7日より全米3,561のスクリーンで公開され、5日間(11月5日~9日※5日から北米249館で先行上映)で興行収入約5,215万1,000ドルを記録。世界62のマーケット(北米を除く)では、週末3日間(11月7日~9日)で約8,000万ドルを稼ぎ出し、わずか数日足らずで全世界興行収入約1億3,215万1,000ドルとなる大ヒットスタートを切った。
強い! 今や、クリストファー・ノーランのブランド力は、最強である。これまで見たことのない革新的で独創的な世界観、そしてそれを見事に王道のエンターテイメントにまで昇華させ、だれもが楽しめる作品を創りあげた。勝因はいくつもあるだろう。だが中でも、数多くの人々の心をわしづかみにしたのは、究極とも言える父娘の強い絆と愛の物語だった。たとえ舞台が壮大な宇宙となっても、ノーランが常に作品の根底に描くのは、血が通った人間による愛の物語なのだ。
父娘の究極の親子愛と、自己犠牲のドラマにうなる!
本作の主人公、元NASAのパイロットでエンジニアのクーパーを演じるのは、『ダラス・バイヤーズクラブ』(2013年)でアカデミー賞主演男優賞を受賞したマシュー・マコノヒー。近未来の地球では、劇的な環境の変化や世界規模の食料難により、人類は滅亡の危機にひんしている。パイロットを辞め、農夫としてトウモロコシを育てていたクーパーに、ある日、人類が住むことができる新たな惑星を探すという命懸けのミッションが課せられるのだ。もちろん、クーパーも葛藤する。そりゃそうだ、生きて帰ってこられる保証なんてどこにもない。むしろ、帰還できる可能性なんて限りなくゼロに等しいのだから。
妻に先立たれたクーパーには、息子と娘がいるが、好奇心旺盛で、ロケットや宇宙など科学的なものに興味を示す娘マーフ(マッケンジー・フォイ)とは、特別な絆を感じているようだ。「君の娘さんの世代で世界は終わる」と告げられたクーパーは、愛する娘と共に世界の終わりを待つか、それとも娘の未来のために旅立つかという、究極の決断を迫られる。そして彼が選んだのは娘の未来だった。「行かないで」と懇願し泣きじゃくる娘に対し、「親は子供の記憶の中で生きる、とママも言っていただろう」と諭すシーンが実に切ない。覚悟を決め、「必ず、帰ってくる」と娘を強く抱きしめる姿に、涙腺崩壊は必至だ。
クーパーと同じく二児の父でもあるマコノヒーは、ノーラン監督作について「これだけ壮大な世界を、彼のように描ける人はほかにいない。でも、どんな規模の作品であっても、彼の映画は必ず何か個人的で親密なものになる。この映画にはもっと人間の血が通っている。ここで描かれているのは、バットマンのような架空の存在ではなくて、実際の人間なんだからね(笑)」とたたえるが、本作もしかり。クーパーを完全無欠のヒーローに仕立て上げるのではなく、父親として子供を守れないかもしれないという苦悩をも描き込むことで、より見る者の心を揺さぶっていく。
また、残されたマーフの心情も並行して映し出される。父クーパーのいる場所は、あまりにも地球から遠く、意思疎通はできない。父を愛するがゆえに、裏切られたのではないかという疑心が彼女の心をさいなむ。その一方で、クーパーは、次から次へと予想外の出来事に見舞われ、身の危険にさらされていく。そこで彼の頭をよぎるのは、ある博士から言われた言葉だ。「父親は死ぬ前に何を思い浮かべると思う? 子供の姿だ」。その言葉をかみしめたクーパーは、娘との約束を決してあきらめない。果たして、最大の危機を乗り越えられるのか!? 見ている方が固唾を呑むような展開である。
また、父と娘のドラマといえば、クーパー親子に寄り添うだけではなく、クーパーと共に旅をするアメリアと、彼女の父・ブランド教授親子の関係性もつづられる。アメリアを演じたのは『レ・ミゼラブル』(2013年)でアカデミー賞助演女優賞に輝いたアン・ハサウェイだ。アンは「世界を広げたり、文明を進化させたりする時には必ず、自分自身より大義を優先させる少数によって、大きな犠牲が払われてきた」と、アメリアたちの勇気ある行動を敬う。実際、アメリア自身も、自分の人生を犠牲にしてミッションに参加し、それ以上に、全てを承知で娘を送り出した、マイケル・ケイン扮するブランド教授の葛藤は計り知れないものがあるだろう。そんな親子愛のドラマが、丁寧かつ多層的に描かれている点が素晴らしい。
人間の弱さと強さの両面を描いたことで、浮き彫りになった愛の力
本作の脚本は、クリストファー・ノーラン監督と、弟のジョナサン・ノーランの共著だが、これまでどおり、決して紋切り型で人間を語らない、懐の深い洞察力は健在だ。例えば、クーパーが「人は自分の家族や友人には献身的になれるが、他人にはそうなれない」といった愚痴をこぼすシーンがある。そういうキレイ事では済まされない、核心をついたセリフが、見る者の心に一石を投じていく。
また、地球の未来を託されたクーパーやアメリアら有能な科学者やエンジニアたちは、選ばれし人々だが、劇中で描かれる宇宙の果てしない孤独の中では彼らの人間的なもろさをもあぶり出していく。チャレンジャーたちも人間だから、未知の地では恐怖や孤独感も感じるわけだ。時には動揺し、われを失う姿も赤裸々に描写される点が実にリアル。特に、中盤で用意された、サプライズのトラップには、思わず目を見張る。もちろん、こちらは見てのお楽しみということで。
だが、そういう人間の暗部もきちんと描くからこそ、後半の着地点である愛の力に、さらなる説得力が生まれる。そう、本作の旅の終着駅は、ずばり愛なのだ。導入部は一見すると科学的で、見ている私たちも、クーパーたちと同様に、予測不能の冒険をさせられる気分になる。しかし、その波乱に満ちた航海を終えた後、こんなにおおらかで力強い結末に涙するとは、誰が予想できようか? やはりノーランが伝えたいメッセージは、人をつなげ人を救うのは、いつの時代も人間同士を結びつけてきた愛なのだ。それが、過不足なく、雄弁に語られる。もはや、このストーリーテリングは神業に近い。
そしてノーランは公言する。「これは、父親であることの意味を描いた作品でもある。それがこの映画を作りたかった理由であり、そしてとても個人的な映画となった。僕の制作プロセスにおいて、そういうアイデアを最優先にしているからこそ、宇宙の要素を楽しむものだけでなく、ストーリーのある映画になっていると思う」と。4人の子供を持つノーランが描く感動作『インターステラー』。クリストファー・ノーランがフィルムメーカーとして、さらなる進化を遂げたことを実感できそうだ。
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