アギーレジャパンが初勝利をあげた10月10日のジャマイカ戦。最大の発見は、冷静沈着なプレーを見せた代表初陣のDF塩谷司(サンフレッチェ広島)だった。大学のサブだった4年前からJ2を経て遅咲きの花を咲かせた25歳は、2人の元日本代表への感謝の思いを忘れない。
初体験の「日の丸」と「君が代」に震える心
左胸に日の丸が輝くブルーのユニホームに袖を通すのも、キックオフ前のピッチの上で「君が代」を斉唱するのも、25歳と10カ月にして初めての経験となる。
新潟・デンカビッグスワンスタジアムで行われたジャマイカ代表との国際親善試合。サッカーを始めた小学生の頃から憧れ続けてきた日本代表に初めて招集され、ハビエル・アギーレ監督から先発として送り出された塩谷は万感の思いに心を震わせていた。
「26歳になる年(でのA代表デビュー)というのは遅いかもしれないけど、何て言うんですかね……。早くから代表で活躍している選手に負けているとは絶対に思わないし、いままで自分が歩んできた道に自信を持ってプレーしようと思っていました。キックオフの笛が鳴るまでは緊張したけど、実際に試合が始まってからはある程度楽しむこともできました。いつもプレーしていると(緊張を)忘れるので(笑)」。
センターバックの才能を見抜いた柱谷哲二
2度に及ぶサッカー人生のターニングポイントが、塩谷の脳裏に浮かんでは消えていた。
「センターバックに転向していなかったら、まずここ(A代表)にはいないし、プロになっていたかどうかもわからない。卒業しても企業チームでサッカーだけは続けようと考えてはましたけど」。
国士舘大学で最上級生を迎えた2010年春。コーチとして母校に赴任した元日本代表キャプテンの柱谷哲二から、ボランチからセンターバックへのコンバートを命じられた。誰よりも攻撃好きな性格を自任する塩谷にとって、最初のターニングポイントは「青天の霹靂」としていまも記憶に刻まれている。
「そりゃあ不満もありましたけど、さすがにスタッフには言えないので自分の中にため込んで、時にはチームメイトたちに『何でオレがセンターバックをやらなきゃいけないのか』と怒りをぶつけていました」。
今野泰幸にさらに技術をプラスしたイメージ
現役時代は日本代表でセンターバックを務め、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)ではボランチを主戦場としていた柱谷は、182kg、80kgの塩谷のプレーに前者としての可能性を見いだし、同時にかつての教え子とダブらせていた。
「コンちゃんをもっとテクニックのある選手にした感じのイメージだった」。
コンちゃんとは、ザックジャパンの常連だったDF今野泰幸(現ガンバ大阪)。柱谷はコンサドーレ札幌の監督を務めていた2002年シーズンに、入団2年目の今野を指導していた。2011年にJ2水戸ホーリーホックの監督に就任すると、潜在能力を開花させつつあった塩谷を入団させる。
「水戸では筋トレで体をふた回りくらい大きくさせた。体のサイズもコンちゃんよりあるし、フィジカルの強さは十分世界に通用する。左右両足で正確なキックを蹴れるし、スピードもあるからね」。
水戸では1年目の開幕戦から先発に名前を連ね、瞬く間に最終ラインのリーダーを拝命した。かつては拒絶感を覚えたセンターバックだが、この頃になると塩谷も楽しさを感じるようになっていた。
「正直、大学3年まではほとんど試合に出られなかったし、センターバックだから攻撃できないわけでもないので。哲さんには何よりもメンタルの部分を教わった。自分は熱い気持ちを表に出すタイプではないので、試合では『頭はクールに、心は熱く』を実践しています」。
素質を認め、伸び伸びプレーさせた森保一
2度目のターニングポイントは2012年夏。成長を続ける塩谷に広島、清水エスパルス、大宮アルディージャから移籍オファーが届く。愛着深い水戸残留を含めて熟慮した末に、優勝争いを繰り広げていた広島を選んだ。
「広島で頑張って試合に出て、日の丸を背負ってオレに恩返ししろよ」。
笑顔で塩谷の背中を押した柱谷は、広島の監督を務める日本代表時代の盟友・森保一に独特の表現で秘蔵っ子を託している。
「塩谷が日本代表に入らなかったら、お前の指導力のせいだからな」。
広島では戦術にフィットした2013年からレギュラーに定着。全34試合に先発して、史上4チーム目の連覇に貢献した。
「最初の頃は森保監督がいろいろと気を使ってくれて、伸び伸びとプレーさせてもらった。自分を指導してくれたすべての方々が恩人ですけど、特にあげれば哲さんと森保監督の2人ですね」。
アギーレ監督も絶賛した代表デビュー戦
迎えた10月1日。アギーレジャパン入りの吉報が届く。森保に感謝し、柱谷にはすぐに電話を入れた。リーグ戦ではDFながら6ゴールをあげるなど、攻撃力が注目される中で、塩谷は自分の立ち位置を冷静に見つめている。
「日本を代表する選手たちばかり。練習からすごいとうなるところもあるし、もっと自分もできると思うところもある。自分は守備の選手なので、無失点を続けていけば評価にもつながる。しっかりと体を張りたい」。
宣言通りにジャマイカを完封し、3試合目にして新生サムライブルーは初勝利をあげた。試合後にアギーレ監督が発したコメントに、この日の塩谷のパフォーマンスが集約されていた。
「パーフェクトだった! 」。
「闘将」の異名を取った柱谷に見いだされ、日本に「ボランチ」の呼称を浸透させた森保に育まれた塩谷のサクセス物語は、4年後のワールドカップ・ロシア大会というクライマックスへ向けた新たな章に突入する。(文中一部敬称略)
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筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)
日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。