「おもてなし武将隊」や巨大な天守閣にそびえる金色のシャチなど、にぎやかな印象のある名古屋城。もともと全国でも有数の知名度を誇る城だったが、2010年の名古屋開府400年祭の頃から、その人気が急上昇している。全国城郭管理者協議会が発表した2012年度の全国城郭入場者ランキングでは147万2,000人の入場者数で4位にランクインし、人気を決定づけた。その名古屋城で、今もっとも話題になっているのが本丸御殿の復元工事だ。
天下の将軍の命令で築かれた城
そもそも名古屋城とはどんな城なのだろうか。古くから「尾張名古屋は城でもつ」と歌われた名古屋城は、慶長14年(1609)に徳川家康が九男・義直の居城として築いたことにはじまる。幕府が諸大名に築城を命令する「天下普請」によって築かれ、天守台は加藤清正が手がけた。清正は築城の名手で知られ、江戸城や熊本城の築城も手がけた戦国武将である。
名古屋城の五重五階の立派な天守は姫路城の2倍以上、全国でも江戸城に次ぐ大きさを誇る。昭和20年(1945)に第二次世界大戦の空襲により焼失したものの、昭和34年(1959)に再建され、都市化が進む現在の名古屋市の中でもひときわ存在感を放っている。
現在復元工事中の本丸御殿は、主に将軍が名古屋を訪れた際に泊まる専用の御殿として使われていた。雄壮な天守閣と並び建つ本丸御殿は「近世城郭御殿の最高傑作」と称賛され、天守とともに昭和5年(1930)に国宝の第1号に指定されている。しかし、天守と時を同じくして空襲により焼失してしまった。その本丸御殿を復元させようというのが、今回のプロジェクトだ。
当時の文献に基づいた復元プロジェクト
2009年からはじまった本丸御殿の工事は、10年をかけて木造で復元するというもの。天守閣がコンクリートを用いて再建されたのに対し、こちらは豊富に残された資料を基に、細部まで当時の材料・工法を用いた復元計画となる。2013年の5月29日に表書院と玄関が公開され、公開開始から1年足らずの2014年5月10日で累計入場者が100万人を突破した。
現在復元されている本丸御殿は、将軍の上洛に伴う増築が繰り返され、もっともその価値が高まっていた頃のもの。建物自体の荘厳さもさることながら、目を引くのは黄金に輝く障壁画だ。本丸御殿の障壁画は狩野貞信や狩野探幽といった日本美術を代表する「狩野派」の絵師によって描かれたもので、空襲を受けた際、その多くが取り外して外へ持ち出され、焼失を免れた。現存する障壁画のうち実に1,047面が国の重要文化財に指定され、大切に保管されている。
現在の本丸御殿で見られるのは、この障壁画を復元模写したものだ。1992年よりはじまったこの復元模写事業では、ミクロ顕微鏡や最新コンピューターを使って研究を重ね、色彩や使われた素材を忠実に再現。描かれた当時の鮮やかさがよみがえっている。
おもてなし武将隊や工事見学など見どころはたくさん
本丸御殿に限らず、名古屋城には様々な見どころがある。別名「イケメン武将隊」ともいわれる「名古屋おもてなし武将隊」は、名古屋のPRのために結成されたグループ。織田信長や徳川家康など、名古屋にゆかりのある有名武将に扮(ふん)したメンバーが毎日名古屋城に登場し、お出迎えしてくれる。土日祝日にメンバーがくり広げる演武は、女性ならず男性でもほれぼれするかっこよさ。
他にも、「清正公石曳きの像」とよばれる扇子を広げた豪快な清正の銅像や、大天守閣にある歴史資料館の「石引き体験」「駕篭乗り体験」など、名古屋城ならではの魅力が盛りだくさんだ。
また、現在進行中の本丸御殿の復元工事は見学することもできる。職人の技が光る木材の加工や、伝統的な工法で屋根を組み立てていく様子は迫力満点だ。本丸御殿の全体公開は2018年とまだ先だが、この復元の様子は今しか見ることができない。この機会に、ぜひ足を運んでみてほしい。
(文・かみゆ歴史編集部 小沼理)
筆者プロフィール : かみゆ歴史編集部
歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史全般、世界史、美術・アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『一度は行きたい日本の美城』(学研パブリッシング)、『日本史1000城』(世界文化社)、『廃城をゆく』シリーズ(イカロス 出版)、『日本の寺完全名鑑』(廣済堂出版)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)など多数。また、トークショーや城ツアーを行うお城プロジェクト「城フェス」を共催。
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