アジア最大の歓楽街とも言われる新宿歌舞伎町。日本ばかりか、外国にも知られた超メジャーな町なので意識することもなかったが、ふと思ったのは「歌舞伎座があるわけでもないのになぜ歌舞伎町なのか?」ということ。あなたはその理由をご存知だろうか?

誰もが知っている新宿歌舞伎町。だが歌舞伎町の名前の由来を知る人は少ない

戦後の復興で一大商業地の計画

「歌舞伎座があるのは東銀座でしょ。新宿には歌舞伎座はないですよね。なのに、なぜ新宿に歌舞伎町があるのですか?」知り合いの外国人に聞かれて、はたと答えに窮した。あれほどメジャーな町なのに、名前の由来、歌舞伎町がなぜ歌舞伎町なのか分からない。まったくの無知だった。

気になって調べ始めたら、昭和30年(1955)に「新宿第一復興土地区画整理組合」が発行した『歌舞伎町』(鈴木喜兵衛著)という書物に行き着いた。図書館に収蔵されていたその黄色く変色したページを開くと、「早稲田大学教授工学博士・元東京都建設局長」という肩書の石川栄耀なる人物が、「歌舞伎町と云う名は筆者の命名によるものだ。この町が首都の中心として光を増して行くにつれ、"命名者の光栄"を感じたいと思ったのだ」と説明している。

「新宿第一復興土地区画整理組合」なる団体は、第2次世界大戦で焼け野原になった新宿地域の復興を担い、現在の歌舞伎町を作り、町の名を歌舞伎町と名付けた団体だったのである。

現在の歌舞伎町にあたるエリアが歌舞伎町となる以前は、淀橋区角筈(つのはず)という地名の住宅地であった。終戦後まもなく、角筈北町会を中心に前記の組合が結成され、焼け野原からの復興事業計画が発案された。計画は壮大で、アミューズメントセンターを中心とした一大商業地を建設しようというものだった。

そのアミューズメントセンターの中核として考えられたのが、最近まで歌舞伎町のシンボル的な存在だった新宿コマ劇場のあった場所に歌舞伎劇場を建設するというものだった。計画は順調に進み、4階建て1,850名収容の歌舞伎劇場は「菊座」という名称とすることも内定する。同時に、誕生する町の名も真剣に検討された。

新宿コマ劇場も今はない。跡地では新しいビルの建設が進んでいる

「菊町」になっていたかもしれない歌舞伎町

当初優勢だったのは、歌舞伎劇場「菊座」にちなんで「菊町」とするというもの。しかしどうもピンとこない。そこで、復興事業に協力していた東京都建設局の石川栄耀氏に相談したところ、「歌舞伎劇場が中心の町だから歌舞伎町がよい」というアドバイスがあり、当時の安井誠一郎東京都知事の賛同も得て歌舞伎町が誕生したという次第である。昭和23年(1948)4月1日のことだった。

その後のゴタゴタで、歌舞伎劇場の建設は中止となり、代わりに新宿コマ劇場が建設されることになるが、いったん決められた歌舞伎町という町名は変えられることはなかった。歌舞伎劇場なしでもこの町は発展を続け、東京一、日本一の歓楽街となり、その名を世界にとどろかすまでになったというわけである。

歌舞伎町に歌舞伎劇場ができていたら、こちら東銀座の歌舞伎座はどうなっていた?

歌舞伎町はエリア拡大の歴史も有している。終戦直後の誕生当時の歌舞伎町は、おおむね現在の歌舞伎町1丁目に当たるエリアだけだった。現在の歌舞伎町2丁目エリアは、昭和53年(1978)の町名町域変更によって誕生し、それ以前は西大久保1丁目であった。

ちなみに、最近人気復活著しい新宿ゴールデン街も歌舞伎町1丁目にある。こちらの「ゴールデン街」という名前の由来は、歌舞伎町と違ってはっきりしていない。ゴールデン街の公式サイトにも書かれていないし、新宿区役所に尋ねても「分かりません」とのことだった。

輝くネオンのイメージからゴールデンなどという説もあるが、あまり説得力はないように思える。そうした謎を抱えていることも、ゴールデン街の魅力なのかもしれない。

新宿ゴールデン街も歌舞伎町1丁目にある

●information
KABUKI町

●参考文献
『歌舞伎町』(鈴木喜兵衛著・新宿第一復興土地区画整理組合)
『新宿歌舞伎町物語』(木村勝美著・潮出版社)
『東京都の地名』(平凡社)