地名にもブランドがある。例えば「銀座」。この、日本を代表する繁華街の名前を借用した「〇〇銀座」が全国に数多く存在するのはご存知の通り。一方、住宅地のブランド地名とも言える「田園調布」となると、全国に借用した例は皆無。いや、福島県白河市に「田園町府」なる地名があるが、これは東京の「田園調布」と関係あるのだろうか?
“銀座通りマニア”推薦の全国ユニーク銀座通り10選
日本全国に「銀座」の2文字の入った商店街が数多く存在することは誰しもが知るところ。戸越銀座、十条銀座、谷中銀座、砂町銀座の「東京4大銀座」を始め、北は北海道の菊水銀座、旭川銀座などから南は鹿児島県の名瀬銀座や与論銀座まで、その数300とも500とも言われている。なぜこんなにも「銀座」が全国各地に増殖してしまったか?
明治以降、日本を代表する繁華街となった東京・銀座にあやかり、「うちの商店街がこのあたりじゃ一番の繁華街、言ってみればご当地の銀座でございます」と、銀座の名を借用する商店街が相次いだからだろうと想像される。そして、こうして誕生したご当地銀座への愛が高じて、「全国銀座通り.com」というサイトを開設している人までいるのだ。
mihochinwさん(管理人名)がその人。たったひとりで全国の銀座通りの情報を収集し、各地の銀座通りを訪ね歩いては、サイト上で興味深いご当地銀座のあれこれを紹介し続けている。
「東京の黒湯温泉にはまっていた時期があり、戸越銀座にある銭湯を訪れたことがありました。その時、自分自身が生まれ育った静岡県某市の銀座商店街とのギャップに驚かされ、同時に全国に銀座の名を掲げる商店街が多数存在していることを知って、どういう分布状況なのかこの目で確かめたいと思ったんです」。
かくして全国の銀座商店街調べと現地訪問が開始されたという次第。そんなmihichinwさんに、訪ねてびっくりしたり、感動したりした、印象に残る銀座通りはどこかを聞いてみた。
・大島銀座(東京都)……砂町銀座のすぐそばにあるにも関わらずギャップが激しすぎる
・荻窪銀座(東京都)……中央線の駅前に戦後闇市時代の雰囲気を残す
・銀座3兄弟(東京都)……浅見光彦の地元、霜降・染井・西ヶ原
・目白銀座(東京都)……チョコレート専門店と協会の存在がプチ上品
・目黒銀座(東京都)……野菜スイーツのポタジエで有名
・所沢銀座(埼玉県)……再開発により高層マンション銀座に
・飯能銀座(埼玉県)……不思議と落ちついた雰囲気になる、アニメ『ヤマノススメ』の舞台
・富岡銀座(群馬県)……富岡製糸場(世界遺産)にひっそり隣接、いい味を出している
・彦根銀座(滋賀県)……鳩のマークの平和堂1号店が現存する
・安立銀座(大阪市)……庶民的なアーケードの中に木造建築が突如現れる
以上がmihochinwさんの全国銀座通り10選である。「これらの銀座通りを回ったのは2008年頃なので、その後再開発で変わってしまったところもあるかもしれません」とのことだが、興味があったり住まいに近かったりしたらぜひ訪ねてみてはいかがだろう。
mihochinwさんによれば、銀座の名は日本の商店街ばかりでなく、かつてはアジアの各地にも見られたという。例えば、台南市に最近オープンした林百貨店が立地する土地は、かつて台南銀座と呼ばれていたそうだ。また、同じ台湾の高雄や中国の大連にも、戦前には「銀座」があったらしい。
「どこが銀座の名前を使おうと黙認」
さて、こうした「銀座」というブランド地名の借用を、ご本家である東京の銀座はどのように思っているのだろうか? 銀座通りの銀座1丁目から8丁目、晴海通りの数寄屋橋から三原橋までの沿道にある店舗、社屋、事務所で組織する連合会「銀座通連合会」に、次のような質問をぶつけてみた。
――全国にたくさんの「銀座」と名付けた商店街がありますが、ご本家の銀座としてはどんなお気持ちなのでしょうか?
「特にどうこう言うことはありません。どこが銀座の名前を使おうと黙認という形ですね。私の知る限り、銀座の名前を使用するにあたって、商店街が私どもに許諾を求めてきた事例もないと思います」(「銀座通連合会」事務局)。
商店街(振興組合)の名称については、昭和37年(1962)施行の「商店街振興組合法」によって「会社法」第8条に準拠するとされ、「何人も、不正の目的をもって、他の会社であると誤認されるおそれのある名称又は商号を使用してはならない」とある(商店街が振興組合として登記している場合に限る)。それ以前の時代にも「中小企業等協同組合法」などによって同様の制約があったようだ。
それでも本家の銀座は、全国の"〇〇銀座"の誕生に対して不平を申立て、「侵害の停止又は予防を請求する」ことがなかったようなのである。ただし、全国最初の〇〇銀座である戸越銀座商店街だけは、本家の銀座の公認を得ているという。
ご本家からの指摘で「田園調布」が「田園町府」に
銀座が繁華街&商店街の最高ブランド地名とすれば、高級住宅地のブランド地名といえば東京都大田区の田園調布ということになるだろうが、この「田園調布」の名をめぐってある事件があった。平成4年(1992)から5年頃にかけてのことだという。
「白河市と合併する以前の旧大信(たいしん)村が、かつて行政分譲地を造成するにあたって、その地を田園調布と名付けようとしたことがありました。ところがそのことが東京の田園調布会に伝わって指摘が入り、田園調布と名づけるのを断念したと聞いています」(福島県白河市大信庁舎地域振興課・近藤久雄さん)。
田園調布会とは、「街並みの維持と住む人びとのふれあいを大切にするために、昭和57年『田園調布憲章』を制定し、これを守るよう住民みんなで努力しています」という町会。憲章では、この町の生みの親である明治の大実業家・渋沢栄一の、"住宅と庭園の街作り"田園都市構想の精神と理想を受け継いでいくことをうたっている。
では、この指摘に対して大信村はどうしたのか? 前述したように「田園調布」は断念したものの、それでも未練があったのか、大信村では「田園調布」と同音の「田園町府」を分譲地の地名としたのである。前出の近藤さんによれば、「田園町府」の4文字は以下のように意味づけされるそうだ。
田園=大信地域における田園を意味する
町=この地域の旧字名は「町屋」であり、そこから「町」の文字をとった
府=大信村を収める中心地「府」を意味する
その後、大信村議会の承認も得て「田園町府」は正式な字名となる。現在の正式な地番は白河市大信田園町府〇〇番地となるそうだ。こうして誕生した田園町府ニュータウンは、白河市による建築助成金制度や子育て支援制度などの助成制度もあって好評分譲中とのことである。
ちなみに、白河市の旧大信村区域には、「赤坂」という地名や「青山墓地」という市営(旧村営)墓地もある。青山墓地は東京の青山墓地の名を借用したものだが、赤坂は東京の地名の借用ではなく既存地名の「大信中新城字赤坂」からとったものとのことである。
余談だが、山口県周南市の徳山地区には「銀座」「新宿」「青山」「千代田」「代々木公園」などなど東京の地名があふれている。しかし、「田園調布」はない。