俳優の綾野剛が、14日に放送されたTBS系バラエティ番組『アカデミーナイト』(毎週木曜26:58~27:28)で、映画を嫌っていた過去を明かした。

映画を嫌っていたことを明かした綾野剛

「子どもの頃、全く映画を観ていなかった」という綾野。その原因となったのは、幼稚園から小学校低学年にかけて「教育のように映画を見せられた」ことだった。火事の恐ろしさを学ぶための『タワーリング・インフェルノ』(1974年)、ラーメンのすばらしさを学ぶ『タンポポ』(1985年)。「意識的に敬遠してたのかもしれないですね。(映画は)勉強するものみたいな。苦痛なイメージしかなかったですね。まず観ることはなかった」と当時を振り返った。

モデルで芸能活動をスタートし、その後に俳優業をはじめるも、なかなか前向きになれなかったという綾野。テレビ朝日系『仮面ライダー555』で石田秀範監督と出会ったことがきっかけで演じることと真剣に向き合いはじめ、「まずは勉強。底辺からやらないと」と低予算の作品にも進んで出演するようになる。俳優としての可能性を広げるために、苦手だった映画も鑑賞。中でも、『アイ・アム・サム』(2001年)のショーン・ペンは綾野に役者としての刺激を与えた。

知的障害を持つ中年男・サムを演じたショーン・ペン。綾野は彼の姿を見たときに、演技ではなく「そういう人」だと思ったという。「こんな映画が世の中にあるんだ」と転機となり、その後は積極的に映画を観はじめるが、「あまり観たことを言いたくない」とも。その理由を「何も努力してないと思われたい。言う必要がない。結局、作品の中でしか評価されない職業ですから」と説明し、「過程はスタッフとか関係者とか、支えてくれている人と共有するもの」と語る。

そんな綾野が、俳優人生の未来を意識したのが今年主演を務めた『そこのみにて光輝く』。「低予算の映画でしたし、最低限のスタッフだけで撮った作品だからこそできる方法もあって、映画によってアプローチの仕方が違う」と語り、小規模の作品での下積みを経験していたことから「帰ってきた」という感覚で臨んだという。

「その感覚が大事なのかもしれない。僕は誰が何と言おうとああいう作品を大事にしている。映画が映画であるカタチ。ある種分かりやすい日本映画だと思うんですよね。ハリウッドやアジア圏内で役者をやりたいという気持ちよりも日本映画を海外に持っていきたい。日本の文化や技術や日本でしかできない才能というものを世界に発信したい」

映画に興味のなかった少年は成長を遂げ、今では日本映画の未来に誰よりも情熱を注いでいる。