ウェディングドレスなどのデザインで世界的に活躍する松居エリさん。実は、意外な分野とのコラボレーションにより、数々のユニークなドレスをデザインしてきた。その分野とは、アートのイメージとはなかなか結びつかない、数学、物理学など、最先端の科学なのだ。松居さんとコラボレーションした科学者であり、東京大学で数理工学を研究する合原一幸教授は、彼女のアトリエでクールカッティングのドレスを見て、驚きの声を上げた。「これって、ロジスティック写像の分岐図が使えますよ!」。合原教授のひらめきと松居エリさんのデザイン、すなわち数学とアートが融合した瞬間、世界に1つしかないドレス誕生の幕が開かれた。
「分岐図」のもとになっているのは、生物の個体数の時間推移を予測する、単純な二次関数。この関数を用いた写像の振る舞いを示したのが「ロジスティック写像の分岐図」だ。
数理工学とは?
数学は「純粋数学」と「応用数学」に大きく分けることができる。応用数学の中でも、世の中で実際に起きている現象から学び、新しい数学をつくっていく分野、それが「数理工学」である。
日本科学未来館では、2014年2月19日から9月1日にかけて、この数理工学をテーマにした展示「1たす1が2じゃない世界-数理モデルのすすめ」を開催している。
学校で最初に教わるのは「1たす1は2」。しかし、現実の世界では、単純に「1たす1が2ではない」現象はたくさんある。たとえば、2人の人が協同作業をする時、作業の結果は、2人の作業量を単純に足したものになるだろうか?。それぞれが得意な分野を生かして補い合えば、2人分以上の結果が出せるだろう。反対に両者の息が合わなければ、別々に作業した方がはかどる、という結果になるかもしれない。こうした現象を解き明かす試みの1つが数理モデルなのだ。
未来館の展示では、数理モデルを用いて現実社会の課題を解決する試みとして、感染症の拡大防止、生物の脳や感覚器の仕組みの解明、病気の予防や治療などの事例を紹介している。
ロジスティック写像の分岐図とは?
冒頭で触れた二次関数は、こうした数理モデルの1つだ。たとえば、ある限られた空間において、ある生物が前年の2倍に増えたとする。この生物が同じ倍率で増えていくならば、数年後の個体数を予測するのは簡単だろう。しかし実際には、限られた空間では餌の量が限られていることなどから、増えることのできる個体数には限界がある。増加する一方では絶滅してしまう可能性もあり、適度に増えたり減ったりしているのだ。こうしたことを考え合わせ、増殖率をa、n世代の個体数をX(n)とした時に、ある時点tでの個体数X(t)と、その次の時点t+1での個体数X(t+1)の対応関係は、二次関数を用いた写像*として表される。その写像がこれだ。
X(t+1)=aX(t)(1-X(t))
これは次世代の個体数がどう変化していくかを予測するモデルであり、「ロジスティック写像」と呼ばれる。ロジスティック写像の増殖率aを変化させた時に、個体数が収束しうる値を図に示すと、美しいパターンが出現する。これが「ロジスティック写像の分岐図」である。
写像:2つの集合がある時に、一方の集合の任意の要素に対し、他方の集合の1つの要素を対応させる規則を数学の言葉で「写像」という
数学が嫌いだった松居さん
謎を解くのは好きだけれど、公式を覚えるのが苦手で、数学が嫌いだったという松居さん。一緒に働いていた理数系出身のスタッフの影響で、科学に関心をもつようになった。勉強するうちに科学者たちのクリエイティブな思考に圧倒されたという。それまで、アートの世界では、「感性」がもてはやされ、「計算する」という行為は創造力とは認められなかった。松居さんは、そんなアートの世界に一種の窮屈さを感じていた。感情の起伏が少ないと言われたり「お前、これ計算で描いているだろ」と批判されたりして「私にはアートはできないのだろうか」と悩んだ時期もあった。しかし、科学者の考えに触れるうちに、論理的な思考と、感情や情動などの感覚を共に駆使することが、自分にとってのアートの世界を切り開いていく方法だ、と確信するようになった。