ソチオリンピックの行われた2013-2014年シーズンを振り返るとき、思い出されることがある。フィギュアスケート大会の取材の場で、他の記者から何度か聞かれた話だ。それは、「どうして選手たちはこんなに仲がいいのか」という内容だった。
記者が驚くほどの日本選手の仲のよさ
五輪シーズンは、ふだんフィギュアスケートを取材している記者に限らず、他競技の取材を中心とする記者も大会に訪れることがある。新聞各社の運動部に属する記者にとどまらず、運動部以外の部署から来るケースもないわけではない。そういう記者からすれば、大会での様子、あるいは試合の前後の中に、新鮮に思えることがたくさんあっても無理はない。選手たちの関係もまた、おそらくはその一つだったのだろう。
ましてや、五輪シーズンであり、オリンピックの日本代表争いもかかっている。ライバル同士であるのに、どう見てもうわべにとどまらない関係が感じられるのは、不思議かもしれない。
昨年12月の全日本選手権では、ショートプログラムのあと、村上佳菜子と鈴木明子がかたく抱き合う一幕があった。また、織田信成がフリーを終えたあと、「大ちゃん、がんば! 」とリンク上の高橋大輔に声援を送る場面もあった。それらは彼らの関係を象徴しているように思える。
かといって、フィギュアスケートの選手であれば、誰もが、そしていつの時代も選手同士がそのような関係にあるわけではない。フィギュアスケートを最近になって見始めた方々も多いだろう。だからいくつか記しておくが、かつては激しいライバル関係も多く見られた。
ライバル選手を襲わせたトーニャ・ハーディング
有名なところで言えば、ともにアメリカの選手であったナンシー・ケリガンとトーニャ・ハーディング。1994年のリレハンメル五輪選考のかかった全米選手権を前に、ハーディングがケリガンを襲撃する計画を第三者に依頼。それが実行されたことで大きくクローズアップされた。また、ロシアのアレクセイ・ヤグディンとエフゲニー・プルシェンコもまた、ライバルとして語られてきた。
国内でも、かつてはお互いに口をきかない選手同士の関係も見られた。決して仲が悪いからというわけでもなく、それだけ互いを意識していたからだろう。他の競技においても、代表を争う選手たちが現役時代はあえて言葉を交わさないようにしていた例はある。
最近で言えば、浅田真央とキム・ヨナもライバルとして常に取り上げられてきた。だが、浅田がキム・ヨナをどこまでライバルとして強く意識していたかは別の話だ。というのも、浅田の言葉の数々からは、他の誰がどうというよりもまず、「自分が何をしたいのか、どういう演技をしたいのか」が強く感じられるからだ。
むしろ、当人以上に周囲が「対決」を際立たせた面があるのは否めない。キム・ヨナが休養から復帰して出場してきた2013年の世界選手権時、浅田はこう語っている。
「久しぶりに再会して、バンクーバーのときのような感じでした。キム・ヨナ選手の質問も多くされて、いつものような心境じゃありませんでした」。
浅田自身、周囲によって、キム・ヨナを意識させられていたことを表しているように思える。
浅田とキム・ヨナの関係は若干稀有(けう)な例かもしれないが、フィギュアスケートの中にも、ぶつかりあう関係は確かにあった。だからこそ、近年の日本の選手たちの関係は、他の競技をふだん見ている記者たちには新鮮な光景として映ったのではなかったか。
日本をフィギュア大国へと押し上げた不思議な関係
むろん、彼らが成績を意識しないわけはない。目標としている結果がある。限られた枠しかない五輪への出場もまたそうだ。目標へ向けてしのぎを削りながら、なおかつ、周りからは「仲がいい」と見える関係を築いている。ライバルたちへの敬意と言ってもいい。なぜそのような関係であり得たのか。
それは、互いに足を引っ張り合うような、ましてやハーディングがケリガンにしたように相手を陥れるといったような低次元での争いではなく、より高い次元で切磋琢磨(せっさたくま)してきたからこそではないか。
選手たちは少しでも、己が理想とする優れたスケーターに近づこうと努めてきた。ただ、それは自分ひとりでは成し遂げることができない。「ライバル」がいるからこそ、自分が伸びることができるのだ。「自分を今まで見たことのない高みへと引き上げてくれた感謝」。それがライバルたちへの敬意につながっているように思える。
「絶対に勝ってやるという思いが強かったです。意地と気合でした」。
今年3月の世界選手権後、ショートプログラムで町田樹らに次ぐ3位から逆転で優勝した羽生結弦は言った。そして羽生に抜かれ、2位となった町田は羽生と並んでのテレビインタビューで、羽生の金色に輝くメダルを指さしながらこう語った。
「これを目指すから。彼を目標にがんばってきたので、来年は容赦なくぶっつぶしにいきます」。
強い言葉を口にしながら、町田の表情、そしてその言葉を聞く羽生の表情もまた、笑顔だった。お互いを称(たた)える気持ちあってこそのようだった。
一見すると、不思議に見えるかもしれない彼(女)らの関係。だが、この関係こそが羽生、浅田、高橋ら五輪メダリストをはじめとする、日本フィギュアスケート界の"黄金世代"を築き上げるのに一役買ったという見方をすることもできる。
そして、そんな選手たちの関係は、「フィギュア大国」とまで呼ばれるようになった日本の次代の選手たちにとって、よき手本となるだろう。
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筆者プロフィール : 松原孝臣(まつばら たかおみ)
1967年12月30日、東京都生まれ。早稲田大学卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後スポーツ総合誌「Number」の編集に10年携わった後再びフリーとなり、スポーツを中心に取材・執筆を続ける。オリンピックは、夏は'04年アテネ、'08年北京、'12年ロンドン、冬は'02年ソルトレイクシティ、'06年トリノ、'10年バンクーバー、'14年ソチと現地で取材にあたる。著書に『フライングガールズ-高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦-』『高齢者は社会資源だ』など。