6月15日からカタールのドーハで開催されている世界遺産委員会。『富岡製糸場と絹産業遺産群』の審議の様子はネットでもライブ中継されていたため、本日(6月21日)のその瞬間を視聴した人も多かったのではないだろうか。昨年の「富士山」の際には「三保松原の除外勧告」があり、審議の際には各委員国がそれを覆す発言をしたことが印象的だった。しかし今年の「富岡」の審議は順調そのもの。審議の結果、議長が木槌をたたき、国内18番目の世界遺産が決まった。

登録目前の製糸場には平日も多くの来場者が

「富岡」が世界遺産登録を目指すことに、4月末の諮問機関による登録勧告が行われる以前は、「地味である」「世界遺産にふさわしい価値を持つとは思えない」、などという意見が一般的であった。しかし、登録勧告後には富岡製糸場への来場者がうなぎのぼりに増え、注目もがぜん高まったことは記憶に新しい。

今回の登録決定で、日本の世界遺産の数は18となった。内訳は、文化遺産14、自然遺産4である(「富岡」は文化遺産)。そこで今回、あらためて世界遺産の価値や今後の課題について、世界遺産に詳しい世界遺産アカデミー/世界遺産検定事務局の研究員・本田陽子さんにうかがってみることにした。

登録勧告直後の富岡製糸場正門前

富岡は「パーフェクト回答」

登録11日前にはこんなプレートも

今回の「富岡」はどのようなところが"世界遺産の価値"として評価されたのでしょうか?

この遺産の価値は大きく2つあります。まずひとつは、良質な生糸の大量生産を実現した「技術革新」の中心的存在であったことです。この遺産に代表される絹の大量生産技術は、生産量が限られ一部の特権階級のものであった絹を世界中の人々に広め、その生活や文化をさらに豊かなものに変えていきました。

なるほど。では、もうひとつの価値はなんでしょうか?

世界と日本との間の技術の「交流」です。明治初期、「富国」を実現させるために積極的にフランス人などの技術者を招き、欧米の進んだ技術や機械を取り入れました。また、4つの資産が相互に連携して技術の交流を図ったことで、高品質生糸の大量生産が可能となりました。特に富岡製糸場については、明治時代初期の設立当初の主な建造物が良好な状態で保存されていることも大きなポイントでした。

4月末に登録勧告をした諮問機関は、どのようなプロセスでこの遺産への価値を認めたのでしょう?

まず、世界遺産登録のプロセスを簡単にご説明します。世界遺産の登録を目指す候補のリスト(暫定リスト)は12件あるのですが、その中で「富岡」の準備が整ったので、2013年1月にユネスコの世界遺産センターに推薦書を提出しました。その後、文化財の専門家である「イコモス」という諮問機関の調査員が、9月末に現地調査のために来日。そして、推薦書にしっかり目を通し、総合的に登録にふさわしい物件かどうかを判断しました。

世界遺産委員会の6週間前までには、世界遺産センターを通して各国政府に調査結果を戻すことになっており、それが4月末にあった「勧告」です。勧告には4段階あって、「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」とあり、また課題や問題点も指摘されるのですが、本遺産に関しては、問題点の指摘(去年の富士山でいうと「三保松原の除外」のようなこと)もほぼありませんでした。そこで、関係者の方々は「パーフェクト回答」とおっしゃっていたわけです(この流れについてはこちらを参照)。

来日した調査員はシルクの専門家

調査員の方は、本遺産にはどのような印象をもっていたのでしょう?

現地調査に来たのは中国のシルクの専門家の方です。ただ、この調査内容については完全に非公開となっています。調査員の方がどのような感想をもっているか、ということもオープンにはされないのです。

そこで私の推測をお話させていただきます。この方は中国のシルクの博物館の館長を務めている方で、そこで扱うのは紀元前3000年頃から始まっていた絹の歴史やシルクロードですから、今回の近代的な産業遺産とは全く時代は異なります。ですから、日本の近代化の歴史についてどの程度把握されていたかというのは何とも言えないのですが、世界史的にみた絹の重要性や文化交流についてはプロですから、そうした観点から、本遺産の重要性を感じ取っていただけたんじゃないかと思います。

また、これは少しばかり世界遺産登録のテクニックのような話になるのですが、構成資産が4つに絞り込まれていた、というのも、遺産の価値を明快にする上で、うまく作用したんじゃないかと思います。もともと2007年に暫定リストに載った時には10件近くあったのですが、徐々に絞り込んでいきました。

登録間近でボランティアガイドのツアーにも熱が入る

世界遺産登録された今、日本の世界遺産の中での「位置づけ」や、期待される「役割」の様なものはありそうでしょうか?

本遺産は、「ものづくり日本」の原点であると言えるかと思います。富岡製糸場を富岡の地に建設すること自体が、建材や資材集めに奔走した人がいて、心意気のあった職人たちがいて、不慣れな外国人との交流もありと、知れば知るほどドラマチックなんです。そして、工場が稼動した後には、良質な生糸を作るために試行錯誤した農家や工女たちなどのドラマがまたあるんですね。

いま経済的に停滞している日本において、本遺産にまつわるストーリーというのは多くの人の心を打つんじゃないかと思います。富岡製糸場については、教科書の錦絵でしか知らないという人にもこの一連の話をすると、「そんなにすごいことが明治時代に日本で起こっていたのか!」とびっくりされるんです。映画やドラマができると、分かりやすく伝わると思いますので、そういう企画があるといいのですが。

課題は急増する観光客への環境整備だけじゃない

今後の課題はなにかありますか?

世界遺産登録で誤解をされやすいのが、「登録をされたらゴール」だという印象を持っている方が多いということです。実はそうではなく、むしろ、登録からがスタートだと思います。「富岡」に関しても、登録は非常に嬉しいことですが、これから検討していかねばならない課題はいろいろあります。

具体的な課題として、富岡製糸場に関しては、今後殺到する観光客や急増するであろう車での来訪者をどのように受け入れるのか、という設備やソフトの問題です。夏休みは確実に増えると思います。また、2月の大雪で一部の建物が崩壊してしまいましたが、そこからも分かるように老朽化はかなり進んでいます。それをどのように保存していくのか、というのは大きな問題です。

他の資産では、田島弥平旧宅は個人の住宅で現在も居住していますので、訪問者のマナーが問われます。また、全4つの資産について、自治体がそれぞれ異なるので、行政的な縦割りではなく、うまく連携して情報発信していくことが求められると思います。

2014年3月に新しい富岡の玄関口として、「上州富岡駅」の新駅舎が完成した

現在製糸場近くでは駐車場整備が行われている

これらの課題については、すでに登録されている世界遺産の事例なども参考にしつつ、ひとつづつ経験を増やして、自治体、ボランティアの方、地元住民の方、さらには群馬県民のみなさんで一体となって、長い目でこの遺産を守り、情報発信を続けていってもらえればと思います。

プロフィール : 本田 陽子(ほんだ ようこ)

「世界遺産検定」を主催する世界遺産アカデミーの研究員。大学卒業後、大手広告代理店、情報通信社の大連(中国)事務所等を経て現職。全国各地の大学や企業、生涯学習センターなどで世界遺産の講義を行っている。

世界遺産検定とは?

世界遺産の背景にある歴史、文化、自然等の理解を深め、学んだことを社会に還元していくことを目指した検定。有名な観光地のほとんどは世界遺産になっているため、旅の知識としても役立つと幅広い世代に人気。
主催:世界遺産アカデミー
開催月:3月・7月・9月・12月(年4回)
開催地:全国主要都市
受検料:4級2,670円、3級3,900円、2級5,040円、1級9,250円、マイスター1万8,510円、3・4級併願6,060円、2・3級併願8,220円
解答形式:マークシート(マイスターのみ論述)
申し込み方法:インターネット又は郵便局での申し込み
その他詳細は世界遺産検定公式WEBサイトにて