ソチ五輪が終わって3カ月ほどが過ぎた。オリンピックシーズンが終わり、次の五輪へ向けての一歩が始まろうとしている。いや、既に始まっている。新しいシーズンへ向けてのプログラムの準備に取り掛かっている選手も少なくはない。その一方で、数々のアイスショーを通じて元気な姿をファンに見せてもいる。
そんな今、ふと思い出す言葉がある。
「こんな風な時代が来るとは」
オリンピックがあるシーズンは、代表選考争いも絡み、他のシーズン以上にフィギュアスケートは注目を集めることになる。テレビや新聞などでの報道も増え、フィギュアスケートファンのみならず、ふだんはそれほど競技を見ない人々も引きつけるのが常だ。
日本選手たちの好成績もあって、さらに注目の高かった2013-2014シーズン、こんな言葉を聞いた。
「昔を思えばね、よくここまで来たなあってね」。
「こんな風な時代が来るとは思いませんでしたね」。
先の言葉は、あるマネジメント関連会社に勤める社員、そして続く言葉は元フィギュアスケート選手の言葉である。そろって独り言のようにつぶやいた彼らの言葉は、だからこそ実感に満ちていたし、この10年間の国内外でのフィギュアスケートの変化を物語ってもいた。
関係者が抱く危機感とは
彼らはどのような変化を、その身に感じ取っていたのか。日本の選手たちの成績についてだったのか。確かにそうした部分もあったかもしれない。
例えば10シーズン前、村主章枝が世界の6都市で開催される「グランプリシリーズ」の成績上位6名による「グランプリファイナル」で優勝し、荒川静香が世界選手権で優勝した女子はともかく、男子は国際大会のたびに異なるメダリストが誕生したり、あるいは複数の選手が表彰台に上がったりするのが当たり前のような近年とは、大きな違いがあった。
だが、彼らが思わず口にした言葉の"根っこ"は、そうした成績の違いよりもむしろ、フィギュアスケートを取り巻く環境にあった。マネジメント関連会社の社員は続けて言った。 「前はね、アイスショーとかやってもね、今みたいに(会場が観客で)埋まらないことも珍しくなかったんですよ。それこそ『閑古鳥が鳴いている』って言ってもおかしくはないときもありましたからね」。
実際、それはうそではない。トリノ五輪の前、アイスショーに足を運んでみて、空席が目立つときもないわけではなかった。そもそも、シーズンが終わればアイスショーがめじろ押しの現在とは、開催される回数も違う。
その事実一つとっても、フィギュアスケートの地位は大きく異なっている。一部に限定されているとはいえ、選手にもプラスに作用しているのは間違いないところだし、競技面での成績とも関連しているだろう。
だからこそ、危機感もどこかにうかがえた。この地位を維持していけるのか、と。特に「集大成にしたい」と口にするトップスケーターたちが相次いでいたからなおさらだった。
いつまでも選手頼みではいられない
ソチ五輪で羽生結弦が金メダルを獲得し、浅田真央がフリーで渾身(こんしん)の演技を見せ、世界選手権ではそろって優勝を果たした五輪シーズンは終わった。それとともに、鈴木明子は現役を引退し、日本の男子フィギュアスケート界をけん引してきた高橋大輔は「1年くらいかけて考えます」と、今後について時間をかけて結論を出していく考えを語った。つまり今シーズンは休養することになる。そして浅田も5月19日の記者会見で、1シーズンの休養を発表した。
彼ら第一人者が支えてきて、ここまで来たフィギュアスケートだ。休養の投げかける波紋は小さくない。突出した存在感を示してきた2人だけに、休養後の決断もまた大きな影響を与えるだろう。注目・関心というものは、選手に依存する面が大きいのは否めないからだ。
だとしても、いつまでも選手に頼りっぱなしというわけにもいかない。どのようにして競技を維持・発展させていけばよいのか。オリンピックが終わった今、これからのフィギュアスケートの大きな課題の一つである。
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筆者プロフィール : 松原孝臣(まつばら たかおみ)
1967年12月30日、東京都生まれ。早稲田大学卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後スポーツ総合誌「Number」の編集に10年携わった後再びフリーとなり、スポーツを中心に取材・執筆を続ける。オリンピックは、夏は'04年アテネ、'08年北京、'12年ロンドン、冬は'02年ソルトレイクシティ、'06年トリノ、'10年バンクーバー、'14年ソチと現地で取材にあたる。著書に『フライングガールズ-高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦-』『高齢者は社会資源だ』など。