「地域活性化モデル」として活躍中の、新潟ガールズ集団「Lily&Marry's」というモデルグループがあると聞き、新潟市までインタビューにやってきました。代表の今井美穂さんと、山田彩乃さんに、なぜ新潟の「地域活性化」の活動や、なぜ人気モデルなのに、地元にとどまってモデル活動を続けるのか? たっぷりとお話を伺いました。
「地域活性化モデル」って何?
■今井美穂(いまい みほ)さん |
片岡:「ご当地アイドル」というのは最近たまに聞きますが、「地域活性化モデル」というのは、初めて聞きました(笑)。新潟県の活性化のために結成したということですが、いわゆるプロデューサーとかが裏にいるわけではなく、今井さん自身が企画して始めたプロジェクトなんですよね?
今井:はい。「地域活性化モデル」を始めたのはちょうど20歳の頃でした。今、24歳になったので、この活動を始めて4年目になります。もともと県内の生まれで、町の半分は田んぼじゃないかというくらいの田舎暮らしでした。「新潟女子」ってすごく恥ずかしがりやで謙虚な子が多いって言われていますが、そんな典型的な「新潟女子」でした。
片岡:山田さんも新潟県生まれ?
山田:私は群馬県の出身です。小学校の頃からずっと学校の先生になりたくて、新潟大学に入ったんです。
片岡:何で学校の先生になりたかったの?
山田: 4人姉妹の一番上なので、子供の頃から面倒見たり、妹たちに勉強を教えたりするのが好きで、理科が好きだったから理科の先生なろうと。
片岡:こんな背が高くて美人の先生が高校とかにいたら、男子生徒は大騒ぎになっていただろうね(笑)
今井:高校までは普通に地元の高校にいて、あまり夢とかがなかったです。高校卒業したら早く親も経済的に楽にさせてあげたいと思って、18歳で地元企業のOLになりました。良い会社で、何不自由なかったのですが、20歳になる直前になんかこのままで20歳を迎えていいのかなと自分の中で葛藤が始まって(笑)。19歳になったときに「このままじゃだめだから何かやってみよう」と思って。
人生を変えた「コンテスト」という魔物!?
片岡:それで十日町のオーディションに応募を?
今井:はい。十日町市は雪国なんですが、「ミス十日町」というコンテストに受かりました。普通の女の子だったのが、突然、「一年間観光親善大使になってください」といわれてやることになりました。実はそのときは、十日町のことをあまり知らなかったのです。でも、くすぶっていた自分を変えてみたいと思いチャレンジしました。
片岡:1年間、親善大使をやって何か変わりました?
今井:本当に十日町が好きになっちゃいました(笑)。観光親善大使として、地元の読者モデルをしたり、人前に立つ立場になったりしたときときに、これは楽しいかもと。もっともっとやってみたくなったんです。
片岡:普通に考えれば、東京の何とかキャラバンとかオーディションがあるじゃないですか。そっちに出さなかったのはどうしてですか?
今井:実は、並行して、東京のコンテストも受けました。中でも、ニッセンさんが一般の子を対象としているコンテストがあって、商品も豪華だったので応募しました(笑)。でも、応募したはいいものの、東京の大きなコンテストは大きな事務所に入っていなければいけないのかな?とか、私のような「田舎娘」にはムリなのかなとか、私は思うわけですよ(笑)。それでも、地方在住の私のような女の子がグランプリをとらせてもらいました。そこでちょっと自分に可能性を感じてしまったというか、自信がつきました。
片岡:山田さんはなぜ、教員にならなかったのですか?
山田:大学3年の冬頃になると、私の回りはみんな就活を始める時期で、私もとりあえず就職活動をしてみたりとか、アナウンサー試験を受けてみたりとかしました。でも、そのころは、「遊ぶ」というわけではないですが、もっといろいろと視野を広げてみたいと思っていた時期でした。そうしたら、新潟のファッションイベントで「日本カワイイ博 IN 新潟 」というのをインターネットで見ていたら、モデルの一般公募をしていたんです。思いつきで応募したらコンテストで準グランプリをいただいてしまいました。
片岡:コンテストが人生を変えた?
山田:はい。その「日本カワイイ博 IN 新潟」のウォーキングレッスンの講師が今井さんだったんです。モデルの仕事をするきっかけだったのは今井さんに出会って、「地域活性化モデル」として活動していると聞いて、面白いなと思ったのが、きっかけでした。
今井:その頃、私はただのファッションモデルではなくって、地域に住む女の子たちで新潟を盛り上げていきたい、そして、その子たち自身のことも盛り上げていきたいと思っていました。「地域活性化」という言葉と、「ファッションモデル」という言葉を合わせた活動をしていきたいなと。全然活動内容は決まってなかったですが、「地域活性化モデル」というのを始めようと思っていたタイミングでした。
片岡:山田さんが、ミス・ユニバースのファイナリストになるのはもっと後なんですね。
ミス・ユニバースのファイナリストは「雪女」だった!?
今井:その頃の彩乃ちゃんは、背が高くて、色白で、モデルっぽいけれど暗くて…まるで「雪女」のようでした(笑)。大学を卒業したら教師になるって言っていたので、まさかこうして一緒に活動するとは思いませんでした。
片岡:今井さんが山田さんを「スカウト」したんですか?
山田:楽しいから来てもいいけど、こなくてもいいんだよ、自分の意思でっという感じでしたね(笑)
片岡:教師にならず、モデルになるって言ったときにご両親はなんと?
山田:何も言われなかったですよ。うちの親は「こうしなさい」というのはなくって、やりたいことをしなさいというタイプです。ただし、やるのだったら、ちゃんとやらなきゃね、という感じでした。最初から応援してくれていました。下に3人妹がいて、一番下の妹はモデルになりたいみたいですけど、私が雑誌とかにのっているとうれしいみたいですね。
片岡:お二人とも、新潟から東京に移ってモデル活動をしようとは思わなかった?
今井:観光親善大使をやっていたときに、地元の人たちと接して、新潟ってこんなにいい人たちがいたんだと。すごく楽しかったし、こんなにいいところがあるのに何で知らなかったなと思いました。それまでは、今まで自分の故郷に対して「誇り」を持っていなかったので、すごく新鮮だったんです。普通の女の子で、同じくらいの年代の子は、地元のいいところを知らないというか、知るきっかけがないんだろうなって思いました。輝きたくても輝ける場所がない。じゃあ、私がそういう新潟の女の子たちを元気にする立場になりたいと思いました。
片岡:東京拠点ではなく、あえて地方からだと?
今井:いろんな企業にとりあえず私は新潟を盛り上げるためにこういう仕事をやっていきたいですという営業を始めました。テレビ・ラジオやMCの仕事がだんだんと増えてきました。
ガールズ集団「地域活性化モデル」結成!!
片岡:それが「リリーアンドマリーズ」(リリマリ)の結成につながるんですね。
今井:新潟を盛り上げていくというのは一人ではできません。そのときにガールズ集団を作ろうと思いました。それで生まれたのが、新潟ガールズ集団「リリーアンドマリーズ」(リリマリ)というチームです。
山田:今井さんは何もないところから、自分でチームを作り上げてきたと思っていました。私はできつつあるその様子を見て、私もやりたいと後から今井さんに付いていった感じです。
※後編に続く
<著者プロフィール>
片岡英彦
1970年9月6日 東京生まれ神奈川育ち。京都大学卒業後、日本テレビ入社。報道記者、宣伝プロデューサーを経て、2001年アップルコンピュータ株式会社のコミュニケーションマネージャーに。後に、MTVジャパン広報部長、日本マクドナルドマーケティングPR部長、株式会社ミクシィのエグゼクティブプロデューサーを経て、2011年「片岡英彦事務所」を設立。企業のマーケティング支援の他「日本を明るくする」プロジェクトに参加。