パナソニック(旧・松下電器産業)は、2004年4月に大阪・茨木でプラズマパネル製造用第2工場(P2)を稼働させた。そして、その翌月となる2004年5月には早くも、兵庫県尼崎にP3(第3工場)を建設することを発表。投資金額は950億円に上った。

2005年2月に稼働した尼崎のP3

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【レポート】「テレビ事業 復活の樹」に懸けた思い - パナソニックのプラズマ事業の歴史を振り返る・前編 (2013年11月7日)

【上】P3の生産ラインの様子 【下】2004年当時のプラズマテレビの需要予測は強気だった

P3の敷地は、関西電力尼崎第3発電所の跡地で、阪神高速道路湾岸線の尼崎末広の出口からわずか500mの場所にある。

当初は2005年11月の稼働を予定していたが、中村邦夫社長(当時)の号令のもと、2カ月前倒しで稼働。9月から第1期体制として月産12万5,000台(42型換算)でPDPの生産を開始したほか、2006年6月には第2期体制を稼働させ、P3だけで月産28.5万台の規模に拡大した。

【上】手前からP3、P2、P1で生産できるパネルサイズ 【下】工場を増やすことで生産能力を高めていった

当時のパナソニックでは、PDPの世界需要が2007年度に1,200万台、2008年度には1,500万台、2010年には2,500万台を超えると予測しており、そのうちパナソニックでは40%のシェア獲得を計画していた。そうした意欲的な計画が大規模工場の建設を加速させたといっていい。

P3では、42型のパネルが6枚取りできる生産ラインが整備された。P1と比較して投資生産性は3.7倍、人員生産性は4.2倍、面積生産性は2.6倍となったほか、製造固定費(原価)は72%削減、工程数は20%削減、リードタイムは44%削減されたという。プラズマテレビの価格競争力がさらに高まったのだ。

P3の稼働が直前に迫った2005年2月には、パナソニックは日立製作所とPDP事業に関する包括的協業を発表。そのほか、50型フルHDプラズマディスプレイパネルを開発したと発表し、フルHD時代に向けても先駆けていった。2005年11月には、世界初となる65型フルHDプラズマテレビ「VIERA(ビエラ) TH-65PX500」を発売。市場想定価格は99万円前後だった。

また、2006年1月には、米ラスベガスで開催された2006 International CESで、世界最大となる103型プラズマディスプレイパネルを展示。同年9月には、103型フルHDプラズマテレビ「ビエラ TH-103PZ600」として発売した。市場想定価格は600万円前後という破格のものとなったが、ドバイや中国の超富裕層などが複数台数で購入したり、ラスベガスのカジノで大量導入するといった動きもみられたという。ビエラ TH-103PZ600は、発売から約1年で、全世界で3000台を出荷したという。 

世界初となる65型フルHDプラズマテレビ「ビエラ TH-65PX500」

2006年のCESで、世界最大となる103型プラズマディスプレイパネルを展示

さらに2007年1月には、42型フルHDプラズマディスプレイパネルの開発を発表。同年4月には、世界初となる42型フルHDプラズマテレビ「ビエラ PZ700」を発売した。 

103型フルHDプラズマテレビ「ビエラ TH-103PZ600」

42型で世界初となるフルHDプラズマテレビ「ビエラ PZ700」

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