2000年代に入ると、2000年のBSデジタル放送の開始、2003年の地上デジタル放送の開始に伴い、テレビのデジタル化が一気に進展。大画面化への需要や、低価格化が進展することになる。そんな中、パナソニックは2000年7月に、42型ワイドプラズマテレビ「プラズマ タウ TH-42PM30/S」を発売。110万円(税別)で発売した。
【上】BSデジタルチューナー内蔵の42型プラズマテレビ「デジタルタウ TH-42PM50/S」 【中】BS・110度CSデジタルチューナー一体型プラズマテレビ「プラズマタウTH-42PX10」 【下】茨木工場 |
このタイミングでパナソニックは、PDPの生産を行う松下プラズマディスプレイ製造を2000年7月に設立。9月の東レとの合弁締結によって、パナソニック75%、東レ25%の出資により、松下プラズマディスプレイを設立し、PDPの量産に向けた体制を整えることになる。東レは、PDP生産に必要な材料を供給。その後のパナソニックのPDP事業を支えることになる。
2001年5月には、業界初となるBSデジタルチューナー内蔵の50型ハイビジョンプラズマテレビ「デジタルタウ TH-50PH3/S」を155万円(税別)で発売。さらには、2001年6月には、大阪府茨木の「P1(第1工場)」でPDPの量産を開始。
同工場で生産したPDPを活用した第1号のプラズマテレビとして、BSデジタルチューナー内蔵の42型プラズマテレビ「デジタルタウ TH-42PM50/S」を発売。価格は88万円(税別)と、一気に半額程度にまで落とした。パネルの量産効果がいよいよ表面化してきたタイミングであったといえよう。
茨木のP1では、42型の1枚取りの生産工程となっており、月産3万台規模の能力を持つ。2002年7月発売のBS・110度CSデジタルチューナー内蔵プラズマテレビ「プラズマタウ TH-42PX10」(95万円)、そして、2003年9月に発売した「VIERA(ビエラ)」ブランドの第1号機となる地上・BS・110度CSデジタルチューナー内蔵プラズマテレビ「ビエラ TH-50/42/37PX20」(TH-50PX20の価格は110万円)は、いずれもP1で生産されたパネルを使用していた。
「ビエラ」ブランド第1号機であるTH-50/42/37PX20は「一枚の知性体」というキャッチフレーズを使い、一枚板のようなフォルムを訴求してみせたのも特徴的だった。薄型テレビならではのデザイン性を強調した製品だった。
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