6月19日、作家・北康利氏による「松下幸之助 "日に新た"の精神」と題した記念講演が行われた。北氏は、松下幸之助の人生を追った著書『同行二人 松下幸之助と歩む旅』を記している。北氏は、松下の行動と決断に、どんな哲学をみたのだろうか。
北康利氏氏プロフィール
作家、関西学院大学非常勤講師。東大法学部卒業後、1984年に富士銀行に入行。みずほ証券財務開発部長などを経て、2008年に退職し、作家活動に専念する。『白洲次郎 占領を背負った男』(第14回山本七平賞受賞)、『同行二人 松下幸之助と歩む旅』『子どものための偉人伝 福沢諭吉』(以上、PHP研究所)など著書多数。1960年生まれ。
私はPHP研究所には非常にご縁があるんです。2005年、私の著書『白洲次郎 占領を背負った男』が第14回山本七平賞を頂戴しました。この賞はPHPが主催です。そのとき社長から「松下幸之助の本を書いてみないか」という話があり、2008年、『同行二人 松下幸之助と歩む旅』を出しました。
パナソニック創業90周年の記念行事では本社で講演もさせてもらいました。そこで私はこう申し上げました。「近年、企業はコーポレート・ガバナンスが必要だといい、社外取締役を置いたり、内部監査の権限を強めたりしている。しかし、私は創業者に対する畏敬こそが、最もガバナンスに有効だと思う。胸に刻まれた松下幸之助の人生や偉業が、社員、いや、日本人全体の規律になっているはずだ」と。松下幸之助という先人がいたことは、間違いなく我々の資産です。
「変わり続けるものが生き残る」--"日に新た"の精神とは?
松下幸之助は数々の経営理念、人生哲学を生み出しました。「企業は社会の公器」「お客様大事」……。挙げればきりがないほどの名言がありますが、今回、ここで皆様にお話したいのは、"日に新た"の精神です。
生き残るためにはイノベーションが必要だ――。こうした文句は近年、耳にタコができるくらい聞きますね。安倍首相も「イノベーション25(2025年までを視野に入れた成長戦略)」なんて言っています。ところが、松下は松下電器創業50周年を越えてから、よく「我々が半世紀を越えて発展してきたのは常に今のままでよいかと問い続けた"日に新た"の精神があったからだ」と述べています。
松下の人間哲学の集大成ともいえるベストセラー『人間を考える 新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて』(PHP研究所)の冒頭を読みましょう。私の好きな文章です。
「宇宙に存在するすべてのものは、つねに生成し、たえず発展する。万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である」
万物は変わり続けるもの。今日のベストは、明日になればベストではない。ご存じのように、「進化論」を提唱したチャールズ・ダーウィンは、著書『種の起源』で「賢いものや強いものではなく、変わり続けるものが生き残る」と書いています。
パナソニックは、日々イノベーションをしていく、向上していくことを目指したからこそ、生き残っているんです。ちなみに、世界中で100年以上続く企業は4万社あるそうですが、そのうちの2万社が日本にあります。日本企業は生き残る術を知っている。その象徴が松下の経営理念です。
しかも、松下は、自分自身も変わり続けなければならないと言っています。あれだけの成功者なのに、「私を見習え」ではないのがすごいところです。では、松下は変わり続けるために何をしたのか。松下の写真を見てみてください。耳が大きいですね。松下は聞き上手だったんです。謙虚に話を聞き、情報を集め、経済界、日本、世界の先を読もうとしました。
松下は本当に謙虚ですよ。私はおじぎをしている映像を見たことがあります。腰を90度にも曲げる、心が洗われるようなおじぎです。生涯このおじぎを貫き通し、前屈姿勢で床に手が届くようになったともいわれるほどです(笑)。
有名な「松下電器 五カ年計画」がありますね。松下が5カ年計画を発表したのは1956年。長期の展望を掲げる経営者が珍しかった時代に、松下は社員に5年後の販売高や従業員数の目標を示しました。興味深いのは、この計画を4年間で達成したときの逸話です。社員らを「よくやってくれた」とねぎらい、でも、自分は反省をした。「結果的に本来は4年でできることを、自分は当初5年かかると見通した。まだまだ先が読めていない証拠だ。自分は一から勉強をし直さないといけない」と言うわけです。ここまで謙虚に自らの決断と行動を見直せるからこそ、哲学が生まれたんです。
松下は社員を大事にしました。普通は、新入社員にすぐ、製品作りのノウハウを教えたりはしません。その技術をどこに持ち出されるか分からないからです。でも、松下は教えた。社員を信じ、思いを一つにして、会社を発展させてきた。
「嫉妬はキツネ色に焼く」--会社を発展させるために経営者の顔を貫く
偉人伝にありそうないい話ですよね。でも、一方で、松下を「冷たい人だった」「いやらしい人だった」と語る人も少なくないんです。
こんなエピソードがあります。お正月に幹部が松下の家にあいさつに行く。幹部たちはお屠蘇(とそ)をもらうのですが、客間に通してもらえる者がいたり、玄関までの者がいたりと、応対が違ったそうです。
これをいやらしいと思う人は、経営が分かっていない。松下は本当にいやらしい人だったのか。嫉妬を否定しないで利用したという意味ではそうでしょう。ただ、松下は徹底して経営者がやるべきことをやっただけです。
「嫉妬はキツネ色に焼く」。これも松下の名言ですね。嫉妬心をよくないものとして排除してはいけない。むちゃくちゃに焼いては醜い姿になるけれど、キツネ色にほどよく焼いた嫉妬心はむしろ必要だというんです。キツネ色の嫉妬は、社員の向上心、つまり、イノベーションにつながります。松下は会社を発展させるために、自らの評判を下げてまで、経営者の顔を貫いたんです。
それはなぜか。経営者は社員の暮らしを守らなければならないからです。経営者の最大の社会貢献は、会社を潰さないことです。松下はそのために必要なことをやっただけです。そして、失敗しなかった。苦労しても、勝ち続けた。だから、わが国でただ一人、「経営の神様」と呼ばれるんです。
実は私は、幼年時代を大阪で過ごしましたが、松下をいまいち好きではありませんでした。どこか怖い人という印象があったんです。でも、本を書くにあたって松下の人生をひもとき、多くのことを教わりました。松下は私の恩人です。そして、我々が誇る日本人の財産です。