キャセイパシフィック航空のトレーニングセンターには、実物大機材の模型を設置。新人クルーはここで6週間のトレーニングを受ける

今年も英国スカイトラックス社からベストエアラインに選ばれたキャセイパシフィック航空(以下、キャセイ)。その秘密をさぐるべく、香港ランタオ島にある本社・キャセイシティに訪れてみた。

本社にはトレーニング施設や博物館も

トレーニング施設から宿泊施設まで兼ね備えたキャセイシティには、キャセイの歴史を展示した「ザ・キャセイパシフィック・エクルペリエンス」という博物館がある。残念ながら一般公開はしていないのだが、この大奥に鎮座しているのが客室乗務員たちの制服コレクションである。

本社入り口に構えているのは、2代目の機体“ニッキー”。初代の“ベッツィ”は、香港科学技術博物館(Hong Kong Science Museum)に展示されている

メインギャラリーでは、取り上げられたメディアや乗客となった有名人の写真も。真ん中は若かりし頃のジャッキー・チェン

航空会社の制服ランキングでは常に上位にいるキャセイの制服。男性のみならず、女性もついうっとりしてしまうこともあるだろう。香港のフラッグ・キャリアとして1946年に設立した同社は、現在に至るまで10代にもおよぶ制服を展開してきた。

キャセイと言えば真紅のスーツをイメージする人もいるだろうが、ある時代においてはネイビーブルーであったり、ワンピースであったりしているのだ。そんな制服の魅力を初代から時代背景とともに紹介しよう。

1)創業期1946年から1950年:ミリタリー風
まず時代背景を述べると、1945年という年は日本統治が終了し、再びイギリス統治に戻る頃である。戦後の時代を象徴するかのように、制服にはミリタリー風のネイビーブルーを採用。親しみを感じるというよりは、しっかりした秘書や教師風だ。初代の就航路線は、マニラ、バンコク、ヤンゴン、シンガポールであった。

2)1950年から1954年:良家のお嬢様風
1950年と言えば、中華人民共和国の成立により、香港に大量の人が流入した頃である。その時代、制服はよりコンサバなスカイブルーの麻のロングワンピースへ(すそ丈はくるぶしから約13cm)。胸元も開衿(かいきん)になり、初代の制服より開放的になっている。就航エリアは、アジア路線を拡大。バンコク、ヤンゴン、シンガポールのほか、ベトナム、ボルネオにも就航していた。

3)1954年から1962年:ウエストくびれのXライン
この頃の香港には、中国本土の文化大革命により、難民や上海の資本家なども大量流入が見られた。時期を同じくして、飛行機はシドニーにも就航。そしてワンピースであった制服は、飛行機の便利さと信頼感を反映したスマートな濃紺のスーツに。世の中のファッションは、ライン時代とも言われるウエストが絞られた“ボンキュッポン”の時代であった。

初代制服はミリタリー風

2代目は今では珍しいロングワンピ

3代目は最後のネイビーブルーとなる

4)1962年から1969年:チャイナドレスアレンジ
工業が発展し、経済が飛躍的に発展したこの時代、飛行機もそれまでのプロペラ機からジェット機にチェンジとなった。その頃の制服には、チャイナドレス風のスカートとブラウスを採用。モッズやヒッピー、アメリカントラッドなどユースカルチャーが台頭する一方、強調しすぎないシンプルファッションの時代でもあったと言える。ここからキャセイのトレードマーク、真紅の制服へと移行。路線はカルカッタ、ソウル、そしていよいよ東京への就航が始まった。

5)1969年から1974年:ミニスカート時代へ
70年代の香港は、国際金融都市として発展を遂げた頃であり、海底トンネルも開通となった。その時代に登場した制服がミニスカートである。乗客はもちろんのこと、クルーにも人気を博したスタイル。70年代はジェット機と“ミニスカ・スチュワーデス”の黄金時代だった。歴代の制服が並んでいると、ひときわその短さが魅力的に映る。

6)1974年から1983年:デザイナーズユニフォームに
1979年には、香港にも地下鉄MTRが開通。その頃の制服は、フランス人デザイナー・ピエール・バルマンがデザインし、プッチ柄のブラウスに赤いスーツは、どんなに人が多いところでもすぐ目に入ってきたらしい。「スチュワーデス物語」を彷彿(ほうふつ)させる黒い手袋が斬新だ。

チャイナドレス風のブラウスとジャケット

ミニスカートが時代を色濃く反映

黒の手袋と帽子が印象的

7)1983年から1990年:エルメスデザイン&帽子着用廃止
イギリスから中国への返還が正式決定したのは1984年のこと。制服はエルメスの手による上品なデザインに。シンプルなスタイルながら、ボウタイの柄がエルメスならではと言える。業界全体としては、1990年代前半までに帽子と手袋の着用がなくなったが、それに先駆けて帽子の着用を廃止。この時代からシニアスタッフは紺、ジュニアスタッフは赤い制服と、複数の制服が着用されるようになった。なお、1984年にはバンクーバーまでの長距離就航が開始となった。

8)1990年から1999年:ニナ・リッチによるデザインに
香港は1997年、中国に返還されて特別行政区になる。その頃の制服は、パリのデザイナー・ニナ・リッチがデザイン。Vカットのノーカラージャケットに大きめなボタンがバブル時代を物語る。ブラウスは白襟にリボン、開衿など、いくつかの種類が設けられていた。

9)1999年から2011年:香港デザイナー:エディ・ラウ
9代目の制服は、香港のデザイナー、エディ・ラウによるもの。変化する時代とファッションを反映したモダンスタイルになった。シルエットはよりスリムになり、アジアンスタイルと実用性が加味されている。新空港になってからの初めての制服となった。

エルメス・デザインでは帽子を廃止

長めジャケットのニナ・リッチ・デザイン

香港のデザイナー・エディ・ラウが手がける

10)2011年から現在:10年以上の使用を想定したデザイン
そして現在の制服は9代目と同様、エディ・ラウがデザインを担当。伝統的な赤色や立ち襟、袖口、スカートなどは前代を踏襲し、モダンさやスタイリッシュさをコンセプトに掲げている。また、このデザインは、最低でも10年間使用するという要件も満たして設定されているという。

10代目となる現在の制服は、前代のコンセプトを継承したデザインとなっている

以上がキャセイの制服の歴史である。客室乗務員の制服は、動きやすさなどの理由から欧米ではパンツ型もあったり、昨今の効率化の波とともにカジュアル化するところもあったりする。そんな中、キャセイはアジアならではの女性らしさや美しさを追求したスタイルで、快適な空の旅に彩りを添えてくれているのである。