皆さんこんにちは。フィスコリサーチレポーターの三井智映子です。
今日は株式や債券と呼ばれる有価証券を取引している市場の証券取引所について、紐解いていきたいと思います。
東京証券取引所で株価が決まる仕組みは?
東京証券取引所、略して東証の映像をニュースで観たことがある方も多いと思います。株価が電光掲示板で回っている映像です。思い出しましたか?
東京証券取引所は、ニューヨーク証券取引所やロンドン証券取引所と並ぶ規模の大きさで、 世界三大証券取引所の1つとされています。有価証券を取引するだけでなく、企業が上場する前の上場審査業務、上場企業の投資家への情報開示の審査や、公正な取引がなされているかの審査なども行っています。
証券取引所は会員制で会員として認められた証券業者しか取引ができないため、投資家は証券会社を通じて売買をします。皆さんも株式などの売買の際は証券会社を選ぶところから始めると思います。
投資家から株式の売買注文を受けた証券会社は、それを証券取引所に伝えて競争売買の原則に基づいて執行される、という仕組みです。成立した取引の値段(これを約定値段といいます)はすぐに取引所内に掲示され、全国の証券会社や報道機関などへ伝えられます。それて私たちもネットやニュースなどで知ることができるというわけです。
証券取引所での売買(これを立ち会いといいます)は、土日祝(振替休日等を含む)、12月31日から1月3日を除く、毎日行われています。立会時間は取引所によって異なり、東証の場合は、午前9時から11時30分の前場(ぜんば)と、午後0時30分から3時の後場(ごば)に分かれています。
証券取引の歴史を振り返ります!
では、証券取引はいつから行われているのでしょうか? 証券取引所の機能である売買の執行とそのためのルール設定という意味では、12、13世紀のヨーロッパで銀行が取引のシステムのもとで農村の債務を取りまとめていて、ブローカーと呼ばれる人達が債権の取引を行っていた、それが始まりのようです。
少し遅れて、株式取引としての最も古い証券取引所は1602年にアムステルダムで設立された、とされています。オランダ東インド会社が、最初の株券を発行した会社となっています。株主が企業へ投資をして利益と損失を共有するという株式会社のシステムはオランダから始まったんですね。その後、証券取引所は18世紀にはパリを始め、ロンドン、ニューヨークに開設されたようです。
日本での取引所の起源は,江戸時代の経済の中心であった天下の台所、大阪に設けられた米穀取引から。当時は年貢米を回送、貯蔵し、商人に売却していたわけですが、大きな力を持つ商人の淀屋が淀屋橋で盛んに売買をはじめたことがきっかけで、たくさんの商人たちが集まり、自然と市場になっていきました。
米の取引が銘柄格付けによる、今の先物取引と同様の制度を形成していて、淀屋米市と呼ばれる日本で最初の取引所だと言われています。この市場が堂島に移されたことで名称が堂島米会所に変化し、1730年に幕府から公許されました。その後、文明開化してからの戦前期は元老院や帝国議会で取引所に関する議論がずいぶん行われたようです。明治時代、有価証券の取引所と商品の取引所の両方が取引所、といわれていたのですが、江戸時代の名残か世間では取引所といえば商品の取引所、という認識があったようですよ。
1878年、明治11年に株式取引所条例によって東京と大阪に株式取引所が開設されたのが、証券取引所の始まりであると言われています。東京証券取引所で初めて上場された株式は、東京証券取引所自らのものでした。これが日本で最初の上場株式なんです。
戦後になり証券取引法のもとで東京、大阪、名古屋、京都、神戸、広島、福岡、新潟、札幌の9つの証券取引所が取引を開始。このうち、神戸証券取引所は解散しましたが、その後長く8つの証券会社による取引が続けられました。その後2000年に、広島と新潟証券取引所は東京に合併され、2001年に京都証券取引所は大阪に合併され結果、現在は東京、大阪、名古屋、札幌、福岡の5つの証券取引所で取引が行われています。そのうち東京、大阪、名古屋を3取引所(3市場)、札幌、福岡を地方証券取引所と呼び、3取引所では1部、2部が分かれています。
中でも1878年6月1日に、東証の前身である東京株式取引所が売買立会を開始して以来、120年以上にわたり東証は日本の、世界の証券・金融市場として市場を牽引してきました。しかし、株券売買立会は1999年4月 30日に閉場され、その跡地は2000年に東証Arrowsという東京証券取引所内にある情報提供スペースとして活用されています。
東証Arrowsは自由に見学が可能で株式投資の模擬売買などもできます。ちなみに世界最大の証券取引所であるニューヨーク証券取引所の発足は1792年。1869年にゴールドマン・サックスの設立によって現在の体制に移行しました。1903年に竣工した現在の取引所は皆さんご存知のウォール街にあるわけですが、ウォール街の名前の由来はアメリカ独立前にオランダからの移民がイギリスと戦う際、現在のwall streetに防護の壁を築いたことから壁で囲まれた街→ウォール街となったそうで、特に証券取引所とは関係のない名称のようです。
執筆者プロフィール : フィスコ リサーチレポーター 三井 智映子
共立女子中学校・高校を経て、早稲田大学政治経済学部へ。2001年から芸能活動を開始し、現在テレビ、CM、舞台などに出演。また、いち消費者とアナリストの中間的な存在であるフィスコのリサーチレポーターとしても、株式やFXの現場を取材レポートしています。