理化学研究所(理研)は6月6日、細胞膜において産生される生理活性脂質が細胞膜を横切る「フリップフロップ(膜間移動)」は、細胞膜を構成する脂質の1つ「スフィンゴミエリン」の量に依存することを発見したと発表した。

成果は、理研 小林脂質生物学研究室の上田善文客員研究員、同・牧野麻美特別研究員、同・酒井祥太客員研究員、同・稲葉岳彦基礎科学特別研究員、同・ウラン-松田フランソワーズ客員研究員、同・小林俊秀主任研究員らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、米科学誌「The FASEB Journal」8月号に掲載される予定だ。

動物の細胞膜は内層と外層の脂質二重層で構成されており、それらの脂質組成は非対称が特徴である。内層には「ホスファチジルエタノールアミン」、「ホスファチジルセリン」などのアミノ基を持った「イノシトールリン脂質」などが分布。それに対し、外層には「ホスファチジルコリン」や「スフィンゴエミリン」、糖脂質が豊富に存在する(画像1)。このような非対称分布の結果、内層と外層では脂質の構造や物性が異なることはわかっていたが、その生理的意味まではわかっていなかった。

画像1。脂質二重層の内層と外層の脂質組成

「ジアシルグリセロール(DAG)」は「グリセリン」に「脂肪酸」が2つ結合した脂質分子で、ホルモンや神経伝達物質刺激に応じて細胞膜に産生される生理活性脂質の1種だ。その下流の「リン酸化タンパク質プロテインキナーゼC」と結合して活性化し、細胞増殖や細胞分化などの細胞応答を制御している。

またDAGは脂質合成の中間体であり、細胞刺激とは無関係に定常的にも産生される仕組みを持つ。DAGを産生する酵素は多数存在し、「ホスファチジルイノシトール-4,5-二リン酸(PIP2)」と「ホスホリパーゼC(PLC)」によって内層の細胞質側に産生される経路や、外層の表側に存在する「スフィンゴミエリン合成酵素(SMS)」とホスファチジルコリン、「セラミド」によって、細胞膜表面に産生される経路が知られている(画像2)。

さらにDAGは脂質の合成、分解の中間体であり、中性脂肪の大部分を占める「トリアシルグリセロール」や、脳に豊富に存在し神経伝達物質として働く「2-アラキドノイルグリセロール」の原料にもなるという特徴を持つ。

画像2。DAG産生経路

フリップフロップは、脂質が膜の外層から内層へ移動するための膜を横切る運動だ。フリップフロップの速度は、脂質分子の内、脂質二重層より水層に突き出た部分である「極性基」の大きさに依存し、膜の主要な構成成分で極性が大きいリン脂質は遅く、極性が小さいDAGは速いと考えられていた(画像3)。しかし、これらは主に蛍光標識したDAGによるモデル膜の実験結果に基づいており、生きた細胞でのDAGの分布や動態についてはほとんどわかっていなかったのである。

画像3。フリップフロップ。なお、DAGのような極性基が小さいとフリップフロップの速度が速くなる

そこで研究チームはDAGが生きた動物細胞膜でフリップフロップするかどうかを調べるため、DAGとだけ結合するタンパク質を蛍光標識したDAGプローブを作製し、ヒト卵巣由来の「HeLa細胞」やイヌ腎臓上皮由来の「MDCK細胞」の細胞質で発現させる方法を考案。この場合、DAGがフリップフロップするとDAGプローブが細胞膜の内側に集まることが予想された。

そして細胞表面にDAGを人為的に産生させたところ、HeLa細胞ではフリップフロップが確認されたが、MDCK細胞ではフリップフロップが起こらなかった(画像4・5)。2つの細胞の差異を確認するため、脂質組成が調べられたところ、MDCK細胞ではスフィンゴミエリンが外層に多量に存在しており、薬剤を投与してスフィンゴミエリンの量を減らすとフリップフロップが引き起こされることが見出されたのである。

HeLa細胞(画像4(左))とMDCK細胞(画像5)のフリップフロップ。HeLa細胞でのみフリップフロップが観察された(白矢印)。スケールバーは10μm

またモデル膜の実験では、フリップフロップの速度がスフィンゴミエリンの量に依存して低下したことから、スフィンゴミエリンの量がフリップフロップを制御することが明らかになった。さらに、DAGプローブが細胞膜表面を明るく染色したことから、細胞表面には多量のDAGがプールのように存在することも判明したのである(画像6)。

画像6。細胞膜外層存在するDAGプール。スケールバーは20μm

DAGは特殊な脂質ではなく、食事中に含まれる脂質の吸収・分解の過程で常に産生されている。DAGが異常に増加するとリン酸化酵素を過剰に活性化してしまい、その結果、細胞のがん化やアルツハイマー病などを誘導してしまう。従って通常は、代謝酵素などによって細胞内のDAGは低濃度に抑えられているのである。

研究チームは今回、細胞膜表面にDAGプールが存在すること、スフィンゴミエリンという外層表面に存在する脂質がDAGのフリップフロップを阻害していることを解明した。これは、細胞膜の非対称性を利用したDAGによるシグナル伝達が存在することを示しており、細胞膜非対称性の生理的意味の1つを明らかにしたものだとする。

また、細胞外物質に常に曝されている消化組織などでスフィンゴミエリンの量が減ると、DAGの透過率が上がってがんを誘導する可能性があるという。今後、スフィンゴミエリンをターゲットにした抗がん剤の開発につながる可能性が期待できるとしている。