コンピレーションアルバムに自作曲を織り交ぜる
音楽レーベルとして、「SUPER EUROBEAT」シリーズなどのコンピレーションアルバムを国内にリリースした松浦氏。このあたりから松浦氏の商才がさらに輝きはじめる。
松浦氏は、コンピレーションアルバムの中に自分たちで制作した曲を混ぜてリリース。さらに、当時絶大な人気を誇ったディスコ「ジュリアナ東京」や「マハラジャ」と提携し、店名をCDタイトルに掲げたアルバムも販売する。ディスコ店名CDは、実際の店舗で流れている曲を収録したアルバムとして売り出したが、CD制作の前にエイベックス・ディー・ディーが作った曲を店舗で流してからそれを収録するという手法をとり、自作曲の普及を図った。
さらにこれらのCDには各ディスコ店の入場チケットも添付。「普通にチケットを買うより、CDの方が安かった」(松浦氏)と言い、こちらも売上増を後押しした。
なお、このとき自作曲の作曲者やエンジニアを務めていたのは、貸しレコード店のメンバー。自作曲にはジュリアナ東京で頻繁に流されていたバブル時代を象徴するものなどもあるが、「そのほとんどは、身内だけで作ったもの。エイベックス・ディー・ディーがあった町田に急造した8坪のスタジオで制作していた」(松浦氏)だという。
松浦氏はこの当時の裏話として、「当時はトランスが流行しはじめたため、印象的なワンフレーズを作れば、それを繰り返すだけで一曲ができた」こと、「このときの作曲者がその後、浜崎あゆみの曲を作ることになって大ヒットをいくつも生み出した」こと、「作曲者が日本人名だと拒絶されるので、外国人っぽい名前にしていた」こと、「ジュリアナ東京のCDでは9%のロイヤリティをジュリアナ東京に支払っており、一番利益が大きかったであろう」ことなども明かし、会場を笑いに包んだ。
CDのCMを流した革命児
松浦氏は業界に革命を起こしている。それは、CDを告知するTVCMを流したこと。SUPER EUROBEATやジュリアナ東京のCDを紹介するCMを深夜にしつこいほど流した。
「当時の音楽は、ドラマやCMとのタイアップで売り込むケースがほとんど。しかし、ダンスミュージックがふさわしいタイアップはあまりない。ならば、自分たちでCMを作って流すのが、世間に認知される方法として一番簡単なのではないかと考えた。当時は音楽”作品”をCMで流すのは御法度という風潮もあったが、思い切ってやってみたところ、翌日から売上げがものすごく伸びた」(松浦氏)
その後、CD購入者を無料で招待するダンスイベント「avex rave」を東京ドームで開催。ディスコブームの中、「スーパーお立ち台」などが大きな話題を呼び、5万人が集まった。現在では決して珍しくない、CD購入者を対象とした特別イベントだが、avex raveが初の試みだったという。
「この当時の社員は30人から50人くらい。会社の所在地はまだ町田市。そんな企業が5万人も集めたのは感慨深かった。ちなみにスーパーお立ち台に上がれるチケットは非売品で、社員がディスコに行って、かわいい女性に配っていた(笑)」(松浦氏)