バス停の名前には「○○前」「○○入口」などが多い。これは全国のバス停に共通している定番のネーミングと思われるが、北海道には「○○邸前」「○○さん宅前」など個人名が付けられたバス停が存在する。「個人情報の保護が叫ばれる昨今、許されるのか?」と突っ込みを入れつつも、こうしたオモシロバス停が誕生した経緯を探ってみた。
碁盤目状に区画された北海道
まず、北海道の独特な住所割りについて簡単に説明したい。北海道では開拓時、アメリカにならって碁盤目状に町の区画が整理された。それになぞって、住所は○丁目の前に「○条」というのが入る。大体どの町にもランドマークが設定され、そこを起点に南北は条、東西は丁目といった具合に、さながら座標のように住所が定められている。
例えば「北海町北2条西5丁目」という住所があるとする。この場合、北海町に定められたランドマークから北に2ブロック、西に5ブロックの場所がこの住所に該当する、と説明させていただければ分かりやすいかもしれない。
全ての地域というわけではないが、歴史が古い地域や海辺の複雑な地形のエリアを除き、北海道の多くの場所はこのように区画整理がされていることをまずは踏まえていただければ幸いだ。
個人宅は広大な農村地帯の貴重な目印
もう少しだけ住所の話を。北海道では大きな都市部や市町村などある程度の人口がまとまっているエリアに、「○条○丁目」という住所表記が採用されている場合が多い。開拓時いち早く区画整理が行われた札幌の場合、1ブロックはおおむね110m四方で区分けされた。
また、人口密度の低い地域も、同じく碁盤目状に区画整理が行われた。基線という基準の道を定め、ここから東西、あるいは南北に第1線、第2線と道路を設置し、これらと交わる道路を「号」としている。だから郊外の住所は「○号○線」と表記されるのである。この表記の住所の場合、大区画は約1,600m、中区画でも550m四方と定められている。
上記を簡単に言ってしまうと、郊外の1ブロックはとてつもなく大きく、しかもブロック全てが畑などということも珍しくない。しかも郊外の場合、道路表記なども非常に乏しく、住所表記に至ってはほぼ存在しないに等しい。つまり、郊外には現在地を示す目印があまりにも少ないのである。そのため、個人宅は大変貴重な目印として機能するのである。
個人名バス停は今、危機を迎えている!?
そのような事情から個人名のバス停が誕生したわけで、都市部ではなく郊外に今でも存在している。筆者は2012年に美瑛(びえい)町を訪れた際、いくつかの個人名バス停を見つけた。数年前は網走(あばしり)近隣にある同じようなバス停がテレビなどで話題になったそうだ。
ただ近年は、相次ぐ赤字路線の廃止と並行して個人名バス停の数も減少している。網走市内の路線バスを運営する網走観光交通に話をうかがってみると、現在利用されている個人名バス停は1カ所だけ。同じ道東の斜里バスの管理路線でも、3カ所のみが残されているという状況だ。
美瑛の場合、筆者が確認したバス停の脇にある個人宅は、全てバス停に表記されている名前と異なる表札がかかっていた。ちょっと謎めいていると感じたが、おそらくかつてその家に住んでいた人の名前がバス停に使用されたのだろう。
個人名バス停とはちょっと話題がずれるが、筆者の友人に網走観光交通の路線バスを利用していた網走出身者がいる。彼の話によると、昔は乗客が少ないバスに限り、運転手にリクエストをすれば好きな場所で停車してもらうことができたそうだ。約30年前の話なのだが、北海道のローカルらしい大らかな時間が流れていたことが想像できる。
北海道の田園風景の中で出合える個人名のバス停だが、東北などでも同じようなものが存在するのではないだろうかと気になっている今日この頃である。