「沖縄でベストなシーズンは?」。この問いに対して地元の人なら「秋」と答えるだろう。そう、秋は台風もないし、蒸し暑くもない。空気が澄み、星や街の明かりが最も輝いてみえるこの季節。自然に囲まれてディープな沖縄を体感できる秋のスポットを、沖縄のフォトグラファー新垣誠がご紹介しよう。
離島では今も伝説の息吹を感じられる
沖縄の離島には、こんな伝説が今もたくさん残っている。
昔、南十字星の一等星と北極星が結婚した。天の神様は、水が澄んで流れのきれいな竹富島の沖合に子どもを産むように教えた。しかし、許可無く子どもを産んだと激怒した海の神様が、サメに命令して子どもたちを食い殺させてしまった。
子どもたちのなきがらは星の砂となり、海岸を覆いつくした。心を痛めた島の祝女は、香炉で星砂を燃やした。煙と一緒に天に昇った星の子どもたちは親と再会し、今の星空ができた。今でも竹富島の祝女は祈りと一緒に、星砂を燃やしている……。
降り注ぐ星を浴びるような体験をしたいなら、やはり離島までいくのがベストだ。メジャーな離島や、観光化の激しい離島には、人工の明かりが氾濫していて、伝説もその魔力を失う。
美しすぎる伊平屋島(いへやじま)の星空
個人的には、沖縄県内でナンバーワンの星空は、なんといっても伊平屋島(いへやじま)にあると思っている。この島は、沖縄自動車道の一番北、許田インターをおり、今帰仁村の運天港まで30分進み、そこからさらにフェリーで80分のところにある。
この不便さが、乱開発から島の星空と伝説を守ってきた。銀色のミルクが流れる星空は、思わずため息がでるほどの美しさ。この場所で毎年秋には、「星の声援、月の伴走」のキャッチコピーで知られる「伊平屋ムーンライト・マラソン」が開催されている。
打ちよせる波の音と星の光は、何千年もの間、変わらずにここにある。壮大な宇宙と大自然の時間の流れに抱かれていると、日常の悩み事がどうでもよくなってくる。星のシャワーは明日への元気もくれるのだ。
沖縄最大の軍港が目の前に広がる公園
「がじゃんびら」とは、沖縄の言葉で「蚊の坂」という意味だ。那覇市にある「がじゃんびら公園」は、夏ともなれば、沖縄はぶんぶんうなる蚊でいっぱい。しかし11月ともなると、ぐっと涼しくなり、蚊もいなくなり、過ごしやすくなる。
この「がじゃんびら公園」では一般観光客をそれほど見かけない。那覇空港から近いこともあり、離着陸する旅客機が大きく見える。左手には海、右手には那覇の夜景を望めるぜいたくなロケーションだ。那覇に泊まっているならば、ここが夜景を楽しむベストスポット。
また、ここからの眺めの最大の特徴は、なんといっても目の前に広がる那覇軍港だ。かつて沖縄最大の軍港であり、ベトナム戦争のときは重要な後方支援基地だった。しかし、返還が約束されてから40年間、いまだにその約束は実現されていない。
この場所には、アメリカ軍の車両や戦車が陸揚げされて並ぶこともある。米軍基地の多くは島の中部に多い。しかし、この深緑色の鉄の塊をみたら、那覇の町中にいながらも「基地の島沖縄」ということを実感するだろう。戦車と蚊のコンビネーション、それは戦場へと想像力をかきたてる。
かつての琉球大学生たちが、ロマンチックなひと時を過ごした公園
かつての琉球王朝で栄えた古都・首里は、高台にあり風水的にも優れた場所だ。ここからは那覇の夜景が一望できる。国際通りの夜の騒がしさや民謡酒場のきらびやかなネオンもいいけど、たまにはこの場所でゆったりと静かな時間の流れを楽しむのもいい。
この場所にある首里城公園は、私の実家のすぐ近所。かつてここには琉球大学があった。私が小学生だった70年代、小学校の向かいのキャンパスでは、ヘルメットをかぶってマスクをした怖い兄ちゃんたちが、安保反対を叫んでいたものだ。
しかし日が暮れるとガラリと雰囲気は変わり、学生カップルたちが、キャンパスから見える那覇の夜景を前に語り合うロマンチックな時間へと変貌していった。
私が高校生になる頃には、キャンパスは移設され校舎は廃虚と化し、少し気味が悪かった。それでも、夜はギターを手に、夜景に酔いしれながらみんなで歌ったものだ。
琉球王朝時代も、首里の貴族たちはここから遣唐使の船が那覇に入港するのを見守ったらしい。城壁にもたれ、遠くの海を眺めながら、そんな歴史ロマンにひたるのも悪くない。