洋食器のメッカ・新潟県燕市が生んだ、繊細でありながら頑強な金物たち

最強スプーンとの称号を持つ「コブラ」。焼きを入れられても、何トンも圧力をかけられてもじっと耐える様たるや、まるで仙人のごとし。もはやスプーンの粋を超えているこのコブラを取り上げた某番組では、“果たして超能力者ユリ・ゲラーは最強スプーンを曲げることができるのか?”という企画を立ち上げたのだが、結果はユリ・ゲラーの負け。

「私が曲げられなかったスプーンに出合ったのは初めてだ。記念にこのスプーンをくれないか?」というユリ・ゲラーの粋なコメントでこの対決は幕を閉じた。でも、このスプーンどうやって作っているのか気になりませんか? ということで、実際聞いてみた。

スプーン作りの工程について学んでみよう!

コブラを作っている山崎金属工業があるのは、新潟市から南に50キロくだった燕市。市域の大部分は平地であるため、県内では新潟市に次ぐ人口密度を誇る街である。早速訪れた同社でこのスプーンの最強たるゆえんを伺ったところ、「デザインの美しさを追求した結果として、最高の強度になりました」との回答。

スプーンはクロム18%、ニッケル8%という割合のステンレス鍛造仕様。首元部分の厚みを通常のスプーンの3倍以上にあたる約8ミリに設定したところ、デザイン性と強度を兼ね備えたスプーンが誕生したのだという。

ちなみに、コブラというネーミングは、ネック部分の安定感としなやかなラインに由来している。「コブラの太い首の美しいウエーブを表現するために、熱間鍛造という技法を用いて、厚みのあるスプーンに仕上げました」とのこと。

ところでこの燕市は、スプーンのみならず洋食器の製造が盛んなことで知られており、山崎金属工業以外にも多数のカトラリー製造会社が点在している。燕インターを降りてすぐのところに、洋食器キタローというお店がある。この店ではスプーン制作体験、工場見学も受け付けている。普段使っているスプーンがどのように作られているかなど考えたこともなかった人にとっては、非常に新鮮な体験ができるスポットといえるだろう。

初めて見るスプーンの押型にコーフン!

スプーンを作る工程は、おおまかに2段階に分けることができる。スプーンの形を作る工程と、その後で磨いてキレイにする工程だ。まず、鋼板をおよそ幅2センチ、長さ20センチの板に打ち抜き、その後、プレス加工によってその板の先端を平たく引き伸ばす。柄の部分に模様をつけ(洋食器キタローで見学した際は、この模様はドラえもんだった。かわいい…)、先端を丸く打ち抜いてから「つぼ」と呼ばれるくぼみをつけると、普段、私たちが目にするスプーンの形になる。

スプーンも始めはただの板だったのだ。しかしこのままではただのスプーンの形をした鋼にすぎない。ピカピカに美しくするためには研磨工程が必要だ。プレス加工しただけの光沢のない表面を研磨材で研磨することによって、表面に光沢が生じる。ここ燕市では、スプーンの研磨はもちろんのこと、なんと世界中で流通しているiPodの裏面の研磨も請け負っているという。

この街の技術は世界に誇れるものなのだ。「プレス」と「磨き」―燕市にある全ての技術を結集して作られたものこそ、スプーンなのだ。思わずスプーンが欲しくなってしまったという方は、洋食器キタローで販売されているものからお気に入りの一本を見つけよう!

スプーンのみならず洋食器も販売されているので、スプーンと似合いそうな皿をセットで購入してお土産にするのもいいだろう。ついでに、新潟カツ丼「タレカツ」などのメニューをそろえたレストランも併設されているので、昼食休憩に訪れるのもおすすめだ。

燕市にお越しの際にはぜひ訪れてみてほしい洋食器キタロー

燕市でスプーン作りが盛んな訳

ところで、燕市においてスプーン産業というものはどのくらい根付いているのだろうか? 燕の洋食器製造工場で働くSさんに話を聞いてみると、燕市での金物製品の歴史は古く、350年ほど前から、農業の副業としてスプーン作りを行う人がいたそうだ。

だが、新潟県の冬は過酷なまでに雪が降る。燕市近辺も冬になると1メートルは雪が積もる。中越エリアの中では他の地域に比べると積雪量も多い。そんな中、春がくるまでの副業として、農業従事者の間に根付いたのが洋食器製造業なのだ。この街で見るステキなスプーンは、雪がきっかけで生まれたということになる。

そして、そのような経緯ではじまったスプーン作りであるにも関わらず、今や国内生産の洋食器の90パーセントが燕市で生産されているものだという。副業が本業を超えたのだ。これは、職人さんたちの地道な努力のたまものである。

しかも、このような話をお年寄りからでなく30代のSさんから聞けるのだから、いかに地域にスプーンないし洋食器が根付いているかが分かるだろう。

最近では鋼でなくオールステンレスで制作し、高級洋食器として伊勢丹などの都心の百貨店に卸すことも多いという。また、優れた研磨技術を生かして、様々な企業とコラボしている技術者もいるという。奇抜なコラボレーションを仕掛けるのは30~40代の、この街ではまだまだ「若者」と呼ばれる人々だ。燕市は職人の技術と若者の発想で、大いに盛り上がりつつあるようだ。

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