テレビ朝日系で放送され多くの支持を集めたドラマ『臨場』が映画化。ドラマ版は2009年の「第1章」が14.5%、翌年の「続章」が17.6%と高視聴率を記録したヒット作だ。内野聖陽演じる検視官・倉石義男がさまざまな難事件に挑む姿を描いたこのシリーズで、「第1章」では倉石の部下として登場し、「続章」以降は鑑識課から捜査一課に移って活躍する若手刑事・一ノ瀬和之を渡辺大が演じている。『臨場 劇場版』での一ノ瀬は、別の上司についた今も倉石を慕う"元相棒"として登場する。

『臨場 劇場版』は、ある殺人事件に関係した人々の複雑な因縁を描いた物語。無差別殺人の現行犯として逮捕された波多野(柄本佑)は、精神鑑定の結果“心神喪失”状態にあったとされ無罪になる。それから2年後、その鑑定を行った精神科医と波多野の弁護を担当した弁護士が死亡。両遺体を検視した倉石は、医療知識に基づく死亡時刻操作の細工に気付く。しかし、二人に恨みを持っているであろう無差別殺人事件の被害者遺族の中に医療関係者はおらず、捜査は難航する―。

『臨場』で連続ドラマのレギュラー出演デビューを飾った渡辺が、重厚なテーマを扱う本シリーズへの熱い思いを語った。

渡辺大

――ドラマ、映画と合わせて三度、一ノ瀬を演じた感想をお聞かせください。

渡辺「これだけ長く同じ作品に関わり、同じ人物を演じる機会はなかなかないですから、率直にうれしいです。検視官がサブ的に登場するドラマや映画は国内外にたくさんありますが、『臨場』はあくまで検視官たちがメーン。捜査一課というある意味で刑事ドラマの王道的な組織がある中、検視官たちの姿をしっかり描いている点が面白いですよね。第1章では、僕が演じた一ノ瀬が倉石さんの部下兼相棒という形で捜査をしていました。あんなにタップリと検視官という職業、役柄について学べる機会は今後もそうそうないと思います。初モノづくしの中で学んだことは多く、初モノだからこそ一生懸命になれたことは間違いありません。いろんな意味で僕にとって特別な作品になりました。そうそう、今、東京ドームのスコアボード横にこの『臨場 劇場版』の大きな看板が設置されているんですよ。先日、実際に球場で見てきました。倉石さんの迫力ある顔が、まるで選手たちをにらみつけているようなんですよ(笑)。僕は大のジャイアンツファンでもあるので、そういう意味でも感慨ひとしおです」

――演じられた一ノ瀬はシリーズの途中から捜査一課に異動になりましたよね。

渡辺「仕事の内容も外見も変わりました。鑑識課のユニフォームからスーツ姿に。一ノ瀬としては、一課を率いるエリートの立原さん(高嶋政伸)に引き抜かれたわけですから"栄転"と言えるでしょう。同じ警視庁の中で"事件を解決に導く"という大きな共通項はありますが、具体的な仕事としては捜査一課と鑑識でだいぶ違います。もちろん鑑識の大切さは痛感していますが、いわゆる"刑事"っていうのも面白い。だから、どちらの立場になっても僕自身が興味を持ち続けて演じることができました」

――一ノ瀬ではなく、渡辺さんご自身は鑑識と一課のどちらに向いていると思いますか?

渡辺「僕個人としては…やっぱり検視官かな。…う~ん、でも、一課のほうが良いのかも(笑)。どちらも仕事そのものはやりがいがありますし、大きな意義もありますからね。ただ、組織の中で仕事をしていくという視点に立つと、倉石さんと立原さん、どちらの下で働きたいか? ということになる。両名とも仕事は抜群にできますし、個性的ではあるけど人間的にも尊敬できます。ただ、倉石さんを目標にしても絶対に追いつけないし、あの一匹狼的な存在になることもできません。そういう意味で、立原さんのほうが先輩として目標にしやすいかなと(笑)」

――その倉石と立原の対比がシリーズの見どころのひとつですよね。

渡辺「そうなんです。この作品は検視官によるち密な検証、捜査一課による論理的な捜査で事件を解決に導いていきます。実話ではありませんが、検視、捜査ともに限りなくリアルな描写が多く盛り込まれています。その中で警察関係者をはじめ被害者や加害者たちの人間ドラマが繰り広げられる。そのリアルとフィクションの境界線ギリギリを行くところが、多くの支持を集めている要因なんでしょう。それを担う倉石さんと立原さんの存在はやっぱり大きいですよ。一俳優としても、それぞれの役を演じた内野さんと高嶋さんに本当に感謝しています。一ノ瀬が上司、先輩として彼らに尊敬の念を抱いたように、僕自身もお二人に同じ思いを抱いていました。大御所の方々から学ぶことも多いですが、年齢が離れ過ぎていないお二人とは、より近い感性を持って学ばせていただくことができたと思っています」

――この劇場版の最大の見どころはどんなところでしょうか?

渡辺「世の中では実際にいろんな事件が起きているので、ドラマや映画で描かれる事件が絵空事ではないという感覚があります。事件や事故はそれを引き起こした人が加害者と呼ばれることになり、法律的な処罰を受けますが、今回の作品ではその法律的な善悪の判断自体が揺らぐことになる。凄惨な事件を起こしながらも精神鑑定を経て無罪となった波多野は、その鑑定をした精神科医と弁護士と共に裁判で“勝った”形になります。でも、これが本当に正しいことなのか。恐らく、ご覧になった方は『理屈では分かるけど感情的には被害者に共感する』とか、『長い歴史の中で作られた法律に従うべきだ』など、いろんなことを考えるはずです。登場人物それぞれの強い気持ちが、それぞれ理解できる。だからこそ矛盾も感じてしまう。"リアルとフィクションの境界"を行くシリーズですが、この劇場版ではさらに"理屈と感情の境界"が描かれています。僕自身、完成した作品を見て、どちらにも振り切れない歯がゆさを感じながら、人間ってそれでいいのかもしれないと思いました。その揺らいでしまう感覚はこの作品の大きな見どころです。そしてもう一つは倉石さんの身の上ですね。『この後、倉石はどうなっちゃうの?』と思わずにはいられないシーンが、オープニングとエンディングで見られます。これについては多くは語れません(笑)」