コンピューターというハードウェアを活用するために欠かせないのが、OS(Operating System:オペレーティングシステム)の存在です。我々が何げなく使っているWindows OSやMac OS XだけがOSではありません。世界には栄枯盛衰のごとく消えていったOSや、冒険心をふんだんに持ちながらひのき舞台に上ることなく忘れられてしまったOSが数多く存在します。「世界のOSたち」では、今でもその存在を確認できる世界各国のOSを不定期に紹介していきましょう。今回は「NeXTSTEP」を紹介します。

世界のOSたち

落胆のなかで生まれた「NeXTSTEP」

昨年鬼籍に入られたSteve Jobs(スティーブ・ジョブズ)氏は、Appleの共同設立者であると同時に、同社を代表する"顔"でした。パーソナルコンピューター黎明期である1970年代から現代に至るまで、コンピューター業界には数多くの人々が携わってきましたが、移り変わりが激しい同業界で名を残すのは至難の業。そのなかでも社を代表する"顔"として長年君臨してきた同氏の凄さがわかるのではないでしょうか。その同氏ですら米Appleを離れていた時期があります。

1984年。AppleはMacintoshという画期的なコンピューターを生み出したもの、その需要予測や生産計画はずさんなものでした。役員たちから経営者としての資質を疑われ、対応を求められたJobs氏が招いたのは、当時ペプシコーラの事業担当社長だったJohn Sculley(ジョン・スカリー)氏。しかし、Macintoshをリリースした翌年の1985年には早くも売り上げが鈍化。Sculley氏のいわばクーデターによってJobs氏はMacintosh部門から退任させられ、翌月には会長職以外のすべて業務から外されました。

この際、経営陣はJobs氏に同社に対する敵対行動を取らないなど過酷な条件を突きつけたと言われていますが、疑問に残るのは"なぜJobs氏が法廷闘争という手段を取らなかったのか"という点。当時はまだ社内政治を不得手とした同氏が、ビジネスという戦場で腕を磨き上げたSculley氏に、かなうはずもないのは火を見るより明らかです。

一方で法廷闘争という手段に至らなかった理由はいまだわかりませんが、自分に忠誠を示していたMacintosh開発チームのメンバーに声をかける様を見ていますと、彼の心にあったのは怒りよりも悲しさだったのではないでしょうか。

そんなJobs氏がAppleの会長職を辞任し、起業したのがNeXT(ネクスト:後にNext Computer、Next Softwareと社名変更されました)という会社。話は前後しますが、現場に一切タッチできない閑職に追いやられたJobs氏は、Appleという会社を初恋の人に当てはめ、いまだ自分の心に残る愛情を認めつつも経営陣に対する怒りを高めていました。

辞任前から模索していたとはいえ、閑職に追いやられたのが1985年5月24日の取締役会。同年9月12日には同社を起業したことは、氏のアグレッシブな行動力と怒りの大きさを示す一例でしょう。同社は高等教育やビジネス市場向けのワークステーションとして、NeXTcube(ネクストキューブ)やNeXTstation(ネクストステーション)といったコンピューターを発表しました。

時代を先取りした同コンピューターも興味深いところですが、本連載の基軸であるOSに注目しましょう。NeXTcubeやNeXTstationで使用されていたのは、自社開発したNeXTSTEP(ネクストステップ)というオブジェクト指向型OSです。Mach(マーク)プロジェクトにより開発されたカーネルをベースにBSD Unixのソースコードを取り込みました。

そもそもMachとは、当時カーネギーメロン大学教授のRichard Rashid(リチャード・ラシッド)が設計し、後のMac OS X開発の中心人物となったAvadis Tevanian(アバディス・テバニアン)氏が実装を行ったOSです。"ペンタゴン"の呼称で有名な米国防総省が開発していたコンピューター用のOSとして、当時主流だった4.2BSD UNIXの改良を主目的として開発が始まりました。

NeXTSTEPが優れているのは、プログラム上のコードをオブジェクト=部品化し、部分的に再利用するプログラミング手法の一種"オブジェクト指向"を全面に採用している点。手法自体は1972年から開発が始まったプログラミング言語Smalltalk(スモールトーク)で実装されていましたが、動作環境が限られていました。NeXTSTEPは、このオブジェクト指向を内包することで、開発スピードが格段に向上させたのです。

開発環境も当初から整えられており、C言語をベースに、Smalltalk型のオブジェクト指向機能を持たせたObjective-C(オブジェクティブシー)を標準搭載。開発環境が優れていたことを裏付ける例として、最初のWebサーバーとWebブラウザーを開発したTimothy Berners-Lee(ティモシー・バーナーズ=リー)氏やMS-DOS用PCゲームとして爆発的ヒットを飛ばした「DOOM(ドゥーム)」を開発したJohn Romero(ジョン・ロメロ)氏が開発にNeXTSTEPを使用していたのは有名な話です(図01)。

図01 1993年にid Softwareがリリースし、後のFPS(ファーストパーソンシューティング)ゲームに大きな影響与えた「DOOM」。小説化や映画化もされました

1986年にはNeXTSTEPのプレビュー版を作成し、各社との交渉が行われました。そのなかにはIBMも含まれており、NeXTSTEPを同社製ワークステーション用OSとして採用する交渉は1988年まで続けられました。結果は歴史を見れば一目瞭然。ハードウェアを含めたすべてを自らの手でコントロールしたいJobs氏と、IBMの思惑は合致せず契約には至っていません。このときNeXTSTEPが各コンピューター上で使用できるOSの一つに並んでいれば、現在のOSシェア(占有率)は大きく変わっていたことでしょう(図02)。

図02 広く使われたNeXTSTEP 3.3。独特のGUIに憧れるユーザーは少なくありませんでした