100万人以上とも数百万人とも言われている多くの命が奪われた負の遺産・アウシュヴィッツ強制収容所。過去の過ちを繰り返さないために、現在は世界遺産として遺構が公開され、おぞましい歴史を人々に伝えている。
囚人棟や虐殺場が今も残る
ポーランドの第二の都市、中世的な町並みが残るクラクフから約60km。クラクフの賑やかさからは一変し、寂れた感のある町・オシフィエンチム(ドイツ語名アウシュヴィッツ)に到着する。ここにアウシュヴィッツ強制収容所跡が残されているのだ。
収容所は第二次世界大戦中の1940年、ナチス・ドイツによって建設された。人種差別政策によりユダヤ人をはじめ政治犯など、5年間で約150万人もの人が虐殺されたと言われている。町には3カ所の強制収容所が建設されたが現存するのは2カ所のみ。その1つである第一アウシュヴィッツ強制収容所は現在、博物館として整備されており、当時の様子を物語る建物跡や遺品が残され、見学できるようになっている。
入口にある門には、「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)との文字が掲げられている。これを信じた収容者は懸命に働いたが、この門をくぐったが最後、二度と生きて帰れることはなかった。約30棟の囚人棟の周囲には有刺鉄線が二重に張り巡らされていた。
鉄道の引込み線が残るビルケナウ
もう1カ所見学できるのが、第一アウシュヴィッツ強制収容所から約3km離れた場所にある第二アウシュヴィッツ強制収容所ビルケナウである。よく映画などで使われる鉄道の引込み線のある景色がこの場所だ。
第一収容所より面積は10倍以上もの広さで、かつて300棟以上のバラックが建てられていたという。今は一部しか残っておらず、囚人棟の一部が残るのみ。中央衛兵所も残っており、ここから広大な敷地を一望できる。ここに数百万人もの人を集め、奴隷のように働かせ、そして虐殺する。ナチス・ドイツが行ったことは、狂気の沙汰としか言いようがない。そこまで非道なことを人間ができてしまうことのおぞましさを、現地で生々しく想像してしまう。
二度とこのような悲劇を起こさないためにも、負の遺産から目を背けることなく、一度現地を訪れてみたい。見学にはクラクフやワルシャワなどから旅行会社による現地オプショナルツアーを利用するのが便利。