「日常の中で見つけた問題とそこから生じるフラストレーションに目を向け、信念を持って取り組んでください」。経営者にして革新的な発明家でもあり、このほど作品募集を開始した「2011年ジェームズ ダイソン アワード(JDA)」で最終審査員を務めるジェームズ・ダイソン氏は呼びかける。その言葉は、まさに彼の行動指針そのもの。そう気づかせてくれる1冊が、ダイソン氏本人の自伝『逆風野郎! ダイソン成功物語』(樫村志保訳、日経BP社)だ。そして同書には、JDAでダイソン氏の心をつかむかもしれない「着想3原則」が隠されていた!
"日常のフラストレーション"が生んだ「ダイソン・デュアルサイクロン」
同書は、1947年に英国ノーフォークの片田舎で生まれたジェームズ少年が、いかにして革新的な「サイクロン方式」の掃除機を発明し、世界市場を席巻したかを、口角泡飛ばすように"まくし立てた"自伝である。というのも、サイクロン掃除機「DC」シリーズや、羽根のない扇風機「エアマルチプライアー」など、同社製品のクールな意匠とは裏腹に、失敗、挫折、詐欺、資金難……、とじつに泥臭いストーリーを、包み隠さず赤裸々に、個人名も企業名も実名をさらして熱く語っているからだ。
「まだ一杯になってないのにパックの目づまりで吸引力が下がるじゃないか!」という日常のフラストレーションから、当時の市場を席巻していた紙パック式掃除機の欠点を発見。吸引したゴミを竜巻状に高速回転させ、その際に起きた遠心力で空気とゴミを分離するサイクロン式掃除機「ダイソン・デュアルサイクロン」の仕組みを最初にプレゼンしたエピソードは、その代表例だ。
みずからも取締役としてプロダクトデザイン会社にいた頃、嬉々と取締役たちの前でプレゼンに望んだ。しかし、「君のアイデアはうまくいかない。もっといい掃除機があるというならフーバーかエレクトロラックス(老舗の大手掃除機メーカー)がとっくに作っていたんじゃないか?」と敵意丸出しで反論されたという。
しかし彼は負けずに吠える。「これが英国産業界の気質なんだ。ロシア革命が起こった1917年にロシア人がレーニンに向かってこう言うと思う? 『うーん、ウラジーミル。僕らに革命なんて起こせないよ。もっといい方法があるというならロマノフ王朝がとっくに考えたんじゃないの?』」
苦境をバネに成功し、ダイソン社の"イカした起業家"へ
「それなら……」と社を去った彼は、多大な負債を抱えたまま、自宅のガレージに約1,000日、3年間にわたってひきこもる。そして5,127台もの試作品を作り続けた結果、サイクロン掃除機を自作で完成させてしまった。
もっとも、その後も平坦ではない。サイクロン掃除機のライセンスを引っさげて、まず英国中のメーカーと交渉するも無残に門前払い。アメリカでは契約を結んだと思った大企業から、「不具合がある」と難癖をつけられたうえ契約解消。その上、勝手にサイクロン掃除機を作られてしまう。訴訟費用などを抱えて資金難にあえぎながらも、彼はみずからデザインし、生産、発売、販売するスタイルを選び、いまのダイソン社にたどり着いたのだ。
苦境をバネに成し遂げる。"イカした起業家"ダイソン氏にとって、「日常に対するフラストレーション」は製品開発の動機のみならず、「ビジネスシーンに対する不満」も表しているのかもしれない。
もっとも……、彼の革命的な"発明脳"を支えるのは、それだけじゃない。