知っていた? ダイソンがハンドドライヤーを発売していたことを。

知っていた? ダイソンの創業者、ジェームズ・ダイソン氏がISSEY MIYAKEのコレクション会場をデザインしていたことを。

……ぼくはぜんぜん知らなかった。ダイソンといえば「吸引力の変わらないただ一つの掃除機」だよね、くらいの認識しか持っていなかった。でもきっと、世の中ってぼくのような人がほとんどだと思うのだ。ダイソンといえば、吸引力。吸引力といえば、ダイソン。もはや「黄色といえばバナナ」レベルの結びつきの強さだ。そういえばモンハンの新作でボスが使う超強力な吸い込み技も、プレイヤーの間では「ダイソン」と呼ばれていたりする。

世界初の"吸引力の変わらない"掃除機「G-Force」の誕生は1986年

それはつまり、ダイソン最大のアピールポイントである「変わらない吸引力」がどれだけ世間に浸透しているのかという証明でもあるわけだが、しかしそのインパクトあるキャッチコピーの陰に隠れてしまっているのが、冒頭に挙げたような"ダイソンの知られざる歴史"なのだ。

そこで今回は、ダイソンの創業から現在に至るまでのあゆみを、そのテクノロジーの進化と共に紐解いてみたい。

ダイソン創業者であるジェームズ・ダイソン氏がサイクロン技術の着想を得たのは1979年のことだった。それから5年後、1986年に世界初のサイクロン掃除機となる「G-Force」が誕生し、話題となる。

1998年、ダイソンは満を持して日本市場に参入した。今でも覚えているが、「吸引力の変わらないただ一つの掃除機」を謳い文句にしたサイクロン掃除機の登場は、当時ちょっとしたエポックメイキングな出来事であった。

1998年、日本市場に初めてキャニスター型の"吸引力の変わらない"掃除機「DC02」を導入

その後も順調に進化を続けていったダイソンは、2003年にクイーンズアワードでイノベーション部門賞を受賞する。これがきっかけとなり、後にエリザベス女王がマルムズベリーにあるダイソン本社を訪問したというから何ともすごい話だ。

ダイソン製品が生み出される、デザイン開発研究所

家電メーカーとして世界で確固たる地位を築いたダイソンだったが、そこに驕ることはなく、その後も各国に合わせた細やかな開発を行ってきた。たとえば2004年には日本市場に合わせた専用デザインの「DC12」を、そして2006年にはハンディクリーナー「DC16」を発表しており、これらはいずれもグッドデザイン賞を受賞している。

2004年には、初めての日本専用モデル「DC12」が登場

一方で、残念ながら日本では未発売の製品もある。

それが2006年に発売されたハンドドライヤーだ。簡単にいうと、よく店舗やオフィスのトイレに置いてある手を乾かす機械のことなのだが、ダイソンのそれは、時速640kmの高速気流を使うという非常にパワフルなものなのである。さすが、サイクロン掃除機を生み出したメーカーならではの発想だ。

日本国内未発売のハンドドライヤー「Dyson Airblade」

また、ダイソンは他業界とも積極的にコラボレーションを行っている。

代表的なのは、2007年に行われたISSEY MIYAKEパリコレクションの会場をジェームズ・ダイソン氏がデザインしたことだろう。この出来事を記念し、三宅一生氏へのオマージュとして「DC16」の限定モデルを発表するなど、ダイソンはより日本市場との結びつきを強めていくことになる。

2009年、ダイソン最小のキャニスター型掃除機「DC26」を発表。2010年には、DC26シリーズにより多くのホコリを取り除くために「カーボンファイバーブラシ」を搭載するなど進化を続けている

その後、サイクロン掃除機メーカーとして名前が定着していたダイソンの新境地を切り拓いたのが、ご存じ「羽根のない扇風機」こと「Air Multiplier(エアマルチプライアー)」だった。これが翌年には掃除機同様にグッドデザイン賞を獲得し、ダイソンは新たなブランドを確立することに成功したのである。

そして2011年――。

新モデルであるコードレスクリーナー「Dyson Digital Slim DC35 multi floor(ダイソンデジタルスリム DC35 マルチフロア)」、「DC34 モーターヘッド」を発表したダイソン。今後もユニークな商品群でぼくたちのライフスタイルに変革を起こしてくれそうだ。

ハンディー&スティッククリーナー「Dyson Digital Slim DC35 multi floor」