記号としてのAKB48ではなく、個々の少女の姿を追う
――ファンの方はもちろんこの映画を観ると思うのですが、インタビュー映像が多くて、ファンの中でもさらに観客を選ぶ映画になっていますね。
寒竹「映像素材が単に記録用のものだったので、ドキュメンタリーとして成立するための撮り方をされていなかったというのもあります。あと、AKB48は『ジャンケン選抜』などイベントに関するあらゆる書籍やDVDが既に世に出ているので、それらを1本の映画としてまとめることには、あまり興味がありませんでした」
――「彼女たち自身のための映画」という部分以外では、観客に向けて何を一番描きたいと考えたのでしょうか。
寒竹「AKB48は国民的アイドルと言われて凄く人気がありますが、一般の方々にはまだ記号として認識されている部分が多いと思います。それを映画では、全員は無理ですが、ひとりひとりの少女の肖像に絞って描きたかったというのはありますね。メンバーひとりひとりの個が立ってきたからこそ、AKB48はブレイクしたという部分もあると思います。その個に意識を向けるきっかけにもなって欲しいと思って、この映画を作りました」
――記録用映像は素の部分が出ていたと思うのですが、インタビュー映像に関しては「映画用のインタビュー」ということをメンバーに伝えた後に撮影されていますね。その手法で、どの程度、メンバーのリアルな姿に迫れたと思いますか。
寒竹「実際、どの程度かはわかりません。ただ、彼女たちはステージに何度も立ち、媒体のインタビューも無数に受けています。ですから、カメラの前で話をするのも上手なんですね。若くても、色々な事を筋道立ててきちんと話せる子が多い。でも、それをやってもあまり意味がないなという思いがありました。話す内容は、コアなファンの方は知っている事柄ばかりだと思うので、興味としては、『今この時、どんな表情を見せるか、どんな間(ま)で答えるか』という方に興味がありました。インタビューをする前に、『頑張って答える必要はない、わからなかったら、ずっと黙っていても良い』という事を伝えました。その結果、悩む子は悩んで、言葉少なに答えています。その意味では、素に近い部分が映像に出ているかもしれません」
――あるメンバーが地元で高校の同級生と再会するという場面で、同級生と比べて、外見もトークも、驚くほど大人になっているという事が、映像から感じられて、とても驚きました。
寒竹「撮影していても、毎回、驚かされましたね。例えば柏木由紀さんの場合、自分の理想とするアイドル像を演じきっていて、そんな自分を客観的に見れている。『こういう必要性があるから、自分はこうしてきた。それで今自分はこういう精神状態にある』という事を、ちゃんと自分の言語で周囲の大人に説明できるんですね。そういうメンバーがいる一方で、『どうやったらAKB48の中で自分は目立てるか』と、答えが出ないまま悩んでいる子もいます」
――この作品をどのように楽しんで欲しいですか。
寒竹「『こういう映画だろう』とAKB48のファンの皆さんが想像されている作品とは違う仕上がりになっていると思います。『もっと、このメンバーが観たい』とか、『このメンバーの本当の姿は違う』とか、皆さんそれぞれ感じ方はあると思うのですが、まずはその先入観を外して、彼女たちの声に耳をしっかりと傾けてみて欲しいですね。自分の推しメンではないメンバーのエピソードやインタビューだとしても、それを一度しっかりと観て欲しいです。そうすることでAKB48全体に対する見方も変わってくると思います。そういう群像劇としても、観れると思います」
――寒竹監督は、前作でも女性、少女を美しく撮られていますが、これから、どのような映画を作っていきたいのでしょうか。
寒竹「特に少女に関するこだわりはないのですが、人間を描くという事に関しては、一生かけて取り組んでいきたいと思っています。脚本も書くので、次はオリジナル作品を作りたいですね。今回のようなドキュメンタリーも好きなので、機会があればぜひまたやってみたいです」
『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?』はTOHOシネマズ六本木ほかにて、全国公開中 |
撮影:石井健