デザインチーム・play set products(プレイセットプロダクツ)の代表として、モダンペッツなどのキャラクターグッズや映像作品などを手がける中野シロウ氏。実は、60本以上の時計を所有する無類の時計好きだ。そして「気づいた時にはもう傍らにG-SHOCKがあった」と語る、筋金入りのG-SHOCKファンでもある。そんな氏にG-SHOCKキャラクター「G-SHOCK MAN」制作の舞台裏について、G-SHOCKに対する想いとともに尋ねた。
G-SHOCKで「ヒーローもの」を
今や世界中のイベントに必ず登場し、G-SHOCKのアイコンになりつつあるG-SHOCK MAN。このプロジェクトのスタートは、2007年に遡る。カシオ側からの「ファッション以外でもG-SHOCKの世界観を表現できないか」という相談がきっかけだ。
play set products 代表 中野シロウ氏とG-SHOCK MAN |
「最初は顔合わせレベルだったんですが、お話をするうちに、うちでやるならヒーローもので、との構想がすぐに浮かんできたんです。その数週間後には、ほぼ今のG-SHOCK MANの形でビジュアルのアイディアを持ち込んでいました」
中野氏の膨大な時計コレクションの中でもG-SHOCKは、日々の最前線アイテムとして光るジャパンブランド。生活に密着した存在だからこそ、商品の思想と斬新さを併せ持つ表現が生まれたと言える。G-SHOCKが持つ「たかが時計、されど時計」的なコンセプトを、血の通った形で表現できるデザイナーの提案は、すぐに周囲にも伝わっていった。G-SHOCK MANは大きな評判を得、グラフィックからフィギュア、そしてCGムービーへと大きく展開することになった。
「初めてキャラクターを3D化してほしいというお話がきたのは、2008年3月に原宿で行ったG-SHOCKツアー『SHOCK THE WORLD』の時でした。頭を大きくしたりと、形にはかなりデフォルメを加えましたね。これ以上小さくすると子ども向けになってしまうし、マッチョにするとキャラとして成立しなくなるので、ラフはいくつか作って精査しました。身体が時計バンドになっていることもあり、文字板にも合ったサイズ感にできたんじゃないでしょうか」
それからというもの、彼らはカシオキャラバンの一員として世界を飛び回る存在に。だが、この時にフィギュアを作っていなかったら、その後のG-SHOCK MANの展開も大きく違っていたかもしれないという。
「形になるとやはり伝わりやすいんでしょうね。NYのイベントでいい評判をいただいたということで、その後も商品化しやすくなったことはあると思います」
当初、50センチだったイベント用フィギュアはなんと160センチにまで成長。今ではバーゼルワールドなどの名だたるウォッチフェアでも引っ張りだこなのである。……G-SHOCKの個性を生かした長編CGムービーの内容とは?