Skynet代表取締役の冨山智広氏は、トレードシステムの開発やコンサルティングを行っている。現在は、Meta Trader Webのコンサルティング業務に忙しい。このMeta Trader Webはクラウド型のFX運用サービスで、すべての取引がサーバー内で行われるというもの。Meta Trade専用の言語で自分なりのシステムを作成して運用することもできる。手元のPCを使わなくても、高度なシステムトレードが24時間安定して行えるという最先端のサービスだ。
ところで、冨山氏の人生は極めてユニークだ。一般のトレーダー、システム開発者といえば、証券会社出身者あるいは工学部出身者ということが多いが、冨山氏はなんと、"パチプロ"から身を起こしたトレードシステム開発者。いったい、パチプロがどうして投資の世界に身を投じることになったのか? 冨山氏に今までの人生を振り返っていただいた。
冨山 私は大学受験に失敗して、一浪したんです。そういう時って、まあ誰でも道を踏み外しがちではないでしょうか(笑)。私もご多分に漏れず、パチスロにはまった。受験勉強なんかしないで、朝から晩までホールでパチスロをやっていました。
――1年後、なんとか福井県の大学の工学部に合格することはできたが、すでに大学に通う気は失せていて、あいかわらずパチスロ通いをしていたという。そのままだったら、普通のパチスロ好きで終わりだったかもしれないが、ここからが、冨山氏が普通の人と違うところだ。徹底的にパチスロを研究しだしたのだ。
冨山 私はギャンブルにはかなり熱くなる方で、しかも数学は得意だった。これはちょっと本格的に解析してやろうと思いました。なにしろ、負けると腹が立つので(笑)。それで、パチスロの専門誌を読んでみると、さまざまな理論が紹介されている。その中には、「こういう絵柄が並ぶと何回以内に大当たりする」などという"オカルト"としかいえないものもたくさんありました。しかし、その中で注目したのが「機械割り」と「減算値」の理論でした。
――パチスロというのは、すべてがデジタルで、昔のパチンコのように釘の具合で優秀台とそうでない台を作りだすなどという、アナログな事はしていない。パチスロの中のスイッチを切り替えるだけで、出る台と出ない台を作りだすことができる。いわゆる「設定」で、「設定1」の台は1万円投入して、平均して8,000円分のコインが還元される。これを「機械割り80%」などという。逆にいい設定の台は、「機械割り120%」などというものもあって、この台であれば1万円を投入して、平均して1万2,000円分のコインが出てくる。このような優秀台だけで打てれば、確実に儲かるわけだ。
しかし、どれがこの優秀台かを見極めるにはどうしたらいいだろうか。そこで、出てくるのが減算値というものだ。
冨山 ある雑誌に「減算値」という数値が紹介されていました。これは、1,000円投入したときに、コインを使って何回回るかを測る方法なんです。その回数を減算値というんですけど、これが高い、つまりよく回る台はいい設定になっている。だいたい1時間か2時間ぐらいで、その台の設定を見極められるという方法でした。
ただ、それを自分が実践できるかどうか不安がありました。理論を知ることと、実践してみることはまったく違いますから。それで、パチスロの精密なシミュレーションができるゲームソフトが当時あったので、これを使って何十万回も試行してみました。そこで「この理論でいけば間違いなく勝てる」という自信を得て、実際のホールに行ったのです。
――こうして、冨山氏は"パチプロ"になった。1カ月単位での集計ではマイナスになったことはなく、年間で400万円~500万円は稼いでいたという。しかも、仲間が増えていった。冨山氏は地元のホールではちょっとした有名人になり、教えを請う人たちが集まってきたのだ。
冨山 10人~20人は、弟子のような存在の仲間がいました。でも、情報は劣化していくものなのです。私が仲間に攻略法を教えると、その攻略法は劣化する。みんながその攻略法を使うと、それはもう攻略法じゃなくなってしまうんです。ですから、仲間にもすべての攻略法は教えませんでした。自分だけの攻略法は、自分のためだけに残しておいたんです。自分の優位性を保つために。
それに、仲間たちを見ていると、利益を出せる人間と出せない人間がいる。ぼくが教えた攻略法に素直に従っていた仲間は、着実に利益を出していました。長期間で見れば、着実に利益がでると分かっていましたから。ところが、損失を出している仲間がいる。おかしいなと思って、打ち方を見てみると、勝手な我流の攻略法をやっているんです。それを指摘すると、言い訳が始まる。パチンコの知識が下手にある人ほどだめだったですね。知識やプライドがじゃまをして、我流に走ってしまう。一方で、事前の知識がなくて素直な人は、私の攻略法をそのままにやっていたので利益を出せました。
――注目したいのは、冨山氏はパチプロといっても、ギャンブルではなく、運用としてやっていたという点だ。理論を発見して、それを実践する。もちろん、パチスロであっても、相場の運用であっても、最後の最後は運が必要だが、その運の分量を極力減らす努力をしている。その意味では、最初からトレーダーではあったのだ。
しかし、当時の冨山氏はどの角度から見てもパチプロ。裏稼業の世界にいたといってもいい。それがどうして投資の世界に身を転じることになったのだろうか?
冨山 結局、大学の授業もあまり行かず、途中でやめてしまいました。学生のときは、みんなそれぞれ遊んでいたけど、就職をする年齢になると、パチンコをやる同級生も少なくなっていく。気がついてみたら、同級生の中でパチンコに通い詰めているのは私だけだったのです。このままではいけないと思いました。年収400万円、500万円といっても、学生にとっては大きなお金ですけど、ビジネスとして考えたら、お話にならない。もう26才になっていました。
その時、人の紹介で、ある実業家に会ってみないかといわれたのです。デジタル用の文字フォントを開発した方で、普段はフィリピンで仕事をしていたのですが、たまたま出身地である福井に帰ってきていた。それで、まあ、話のタネにでもなるかなと思って会ってみたのです。それでいきなり説教されました(笑)。いい若い者がブラブラしていてどうするんだと、そんなことで日本はどうなってしまうんだと。
――この出会いが、冨山氏の人生を大きく変えることになる。今日の冨山氏があるのは、この実業家との出会いがあったからといっても過言ではないだろう。次回は、この実業家との出会いから、冨山氏が何を学んで投資の世界に入っていったのかをご紹介する。