同氏の講演の後半には、日立システムアンドサービスのスキー部の監督である荒井秀樹監督とバンクーバー・パラリンピックで金メダルを2個獲得した新田佳浩選手が登場し、3人によるトークが繰り広げられた。
全社を挙げてスキー部をサポート
荒井監督は選手の実力を伸ばすために3つのプロジェクトを実行したと説明した。1つ目は「数字化」することだ。「上り、下り、平地でそれぞれどのくらいの速度で走っているのか、日立システムの社員がタイムを計ってくれた。これにより、"ある選手は上りで負けている"など、これまでわからなかったことが見えてきた」と同監督。
2つ目は「見える化」だ。動作解析ソフトによってビデオを解析することで、ライバルと同チームの選手を比較して、研究を行ったという。3つ目は「障害を持った選手専用の用具の開発」だった。
同監督は「すべてのプロジェクトを日立システムの社員が後押ししてくれた」と感謝の意を示した。
日本のスポーツ文化の底上げを図るには?
一方、同監督は日本におけるスポーツの成熟性が低いことを嘆いた。「海外ではたくさんのボランティアが活躍している。これに対し、日本はオリンピックとパラリンピックを統括する役所が異なるが、"スポーツ省"ができればもっといろんなことができるのではないか」
同監督の意見に荒川氏も賛同した。「フィギュアスケートへの注目が高まり、スケートを始めるお子さんが増えている一方、スケートリンクは減っているという現実があります。これでは子どもたちが夢への一歩さえ踏み出すことができません」
荒川氏は「日本はオリンピック選手の歴史が浅い」と指摘する。「他の先進国ではオリンピック選手が気軽にチャリティイベントを開催することで、社会に還元するとともにそのスポーツを広めています。しかし、日本ではチャリティイベントにまつわる制度が整っておらず、これまでに何度もあきらめたことがあります。日本でももっとオープンにチャリティイベントが開けるように制度を整備してもらいたい」と、同氏は説明した。
目標を達成できなかった時のことも考えておくべき
新田選手からは荒川氏に向けて、「金メダルを獲得したら、次の目標をどう定めたらよいのでしょうか」という質問がなされた。
これに対し、荒川氏は「日本はオリンピックでメダルを獲得した選手が少ないので、私自身、参考になるモデルがいなくて苦労しました。ただ、常に"目標を達成できなかったらどうするのか?"といったように、新たな道を用意しておくことが大事だと思います」と答えた
同氏はずっと「プロスケーターになりたい」という目標があったため、「プロスケーターとしてアイスショーに呼ばれるためにはどうしたらよいか?」という人生の指針があったという。
「自分が何をしたいのかということを考えていなければ始まりません」
新田選手は自分が素晴らしいと思うスポーツを子どもたちに伝えたいという夢を持っているそうだ。「小さい頃からいろいろな経験をすることで豊かな人生が送れると思うのです」
バンクーバー・パラリンピック参加の4選手が登場
第2部の初めには、荒井監督に紹介される形で、バンクーバー・パラリンピックに参加した同社スキー部に所属する4人の長田弘幸選手、久保恒造選手、太田渉子選手、新田佳浩選手が登場した。各選手はパラリンピック参加の喜びと周囲の方々への感謝とともに、今後の抱負について語った。
「パラリンピックに出場して、自分が一人ではないと実感した」(久保選手)、「600グラムという金メダルの重みから"一人で取ったものではない"ことを感じる」(新田選手)といったように、どの選手も周囲のサポートがあってのパラリンピックであると感じているようだ。
日立システムでは、約5,000人の社員の過半数が会費制のスキー部の後援会に入会しているそうだ。また、現在フィンランドにスキー留学している太田選手は、同社の社員にインターネットの電話を介して数学を習ったりしているという。
荒川氏は「スポーツ選手を続けていくことは簡単ではありません。企業のサポートが選手の命をつないでいます」と話していた。
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人間は日常に追われると、目標を見失って人生に疲れてしまうことがある。しかし、荒川氏は「まずは夢を持つことが大切。夢を持っていればどんなに時間がかかっても答えが見つかる」という。前述したように、同氏もオリンピック出場を巡り、悩み苦しんだ日々を送っており、だからこそ行き着いた信念だと思う。皆さん、自分の夢は何ですか? 豊かな人生を送るために、いま一度考えてみてはいかがだろう。