日立システムアンドサービスは5月20日、同社の顧客向けセミナー「第8回 Prowise Business Forum Executive Day」を開催した。今回は、今年10月に同社と合併する日立ソフトウェアエンジニアリングが協力という形で参加している。
初めに、日立システムアンドサービスの取締役社長を務める林雅博氏が登壇し、「今年は日立グループ創業100周年という節目の年。10月1日には、日立ソフトウェアエンジニアリングと合併して、"日立ソリューションズ"としてスタートを切る。さらなる両社の強みを生かしつつ飛躍したい」と、開会宣言を行った。
今回のテーマは「未来を紡ぐ」。同セミナーでは、特別講演にトリノ・オリンピックの金メダリスト・荒川静香氏が登壇したほか、バンクーバー・パラリンピックに参加した同社スキー部の選手も登場した。
「オリンピック/パラリンピックク出場」、「メダル獲得」といった偉業を成し遂げた彼らは、どのようにして自身の夢を達成したのだろうか? その道のりは決して平坦ではなかったに違いない。われわれはスポーツ選手ではないけれど、人生の夢を実現するという点では彼らと同じステージに立っている。つまり、彼らの話から何かしら学ぶことができるはずだ。
ここでは彼らの話を通じて、「夢を実現するには何が必要なのか」について明らかにしてみたい。
スケートを始めたきっかけはコスチューム
荒川氏はスケートのほかにもいろいろな習い事をしていたが、並行することが難しくなり、スケートを選択したそうだ。その理由について、「スケートを始めたきっかけはコスチュームがかわいかったから。もし水着がかわいかったら、水泳の道に進んだかもしれません。また、スケートは振付、音楽、コスチュームと次々と新しいものに出会えるため、好奇心が旺盛な私には合っていました」と語った。
同氏にとって、スケートの目的は勝つことではなかったという。国内の大会で勝つと外国の大会に出場可能になることから、「知らない土地に行きたい」、「強い選手に会いたい」という好奇心から練習に身が入り、どんどん強くなっていったそうだ。
ただし、同氏は16歳で初めてオリンピック出場を果たしてしまうと、多感な年頃ということもあり「他の人と違うことがイヤだ」、「注目を集めたくない」という気持ちが強くなり、結果として、伸び悩んでしまった。
唯一の挫折は2回目のオリンピック出場を目指すことを決めた時
そんな同氏も大学を卒業する頃になると、岐路に立たされることになる。まず、早い時期から「20歳になったら、スケートをやめよう」と思っていたそうだが、いざその年になると、スケートのおもしろさに目覚め、「大学卒業まで続けよう」と決心。
そして、「自分のスケート人生に有終の美を飾ろう」という思いで、日々スケートに臨んでいたそうだ。
しかし、2004年に世界選手権で優勝したことで、その計画が狂い始めてしまった。周囲が「オリンピック選手候補」として注目し始めてしまったのだ。「引退するつもりだったのにオリンピック選手としての目標を聞かれる日々で、自分の中で整理がつかず、暗闇のトンネルにいるような気持でした」と同氏。
ある時、「目標がないという不満を持ったまま、スケート人生を終えたくない」と思い、オリンピックを目指すことにしたという。以降、同氏は練習に励んで、オリンピック選手という座を勝ち取った。
事前の準備があるからこそ100%の力を出せる
その後、同氏がトリノ・オリンピックで金メダルを獲得したことは周知のとおりだ。その時、自己最高新記録も達成されている。いわば、最高の舞台で、自分の実力をマックスに出し切ったわけだ。簡単なことではない。同氏はどうやってその難行を成し遂げたのであろうか?
「当時ルールが変更になり、難易度が最も高い技をすべて滑ると逆に減点になってしまう状況でした。だから、むしろ抑えながら演技したので、大変ではありませんでした」と、同氏はトリノ・オリンピックでの演技について説明した。
猛練習を積んでいたので、技を減らすことは容易だったという。「普段の練習が大切。180%の練習をしていれば、大会で100%の力を出せるはず。強くなることは難しいけど、己を知り、弱点を努力によってカバーすることはできる」と、同氏は日頃の準備の重要性を訴えた。
あらゆることへのチャレンジが夢の実現を導いた
われわれは目標を持つと、ついできるだけ短期間でそれを達成したいと思ってしまう。だが、同氏は「夢にストレートにつながらないことにもチャレンジして、自分のベースを作ってほしい」と話す。
前述の話からも、同氏が好奇心旺盛であることはわかるが、同氏自身さまざまな経験が役立っているという。「一見、狭く見える入口の向こうに、自分の夢につながる世界が広がっていると思います」
また同氏は、「私の人生は回り道が多かったと思っています。でも、"あきらめなければ、たとえ時間がかかっても必ず答えが見つかる"、やっとそう思えるようになりました。これからもたくさんの回り道をしていきたいと思います」とも語った。さまざまな試練に耐え、それを乗り越えてきた同氏の言葉だけに重みがある。