明けて、7月22日。いよいよ皆既日食本番だ。会場で配られた朝食の弁当を食べて腹ごしらえを済ませ、観測会場のグラウンドに撮影機材をセッティング。あとは日食の始まりを待つのみ……だったのだけれど、もうニュースなどでみなさんご存じのとおり、この日の奄美大島の天候はあまりよろしくなかった。
皆既日食当日の太陽が丘総合運動公園の体育館内。体育館宿泊者は簡易ベッドとパイプ椅子をひとつずつ与えられた。体育館ということで暑さを心配していたが、冷房が利いていたのでそれほど暑いこともなかった |
体育館の前で朝食の弁当が配られた。体育館・テント合わせて1,200人が泊まっているので、けっこう長い列ができていた。ちなみに配られた弁当の名前は「皆既日食弁当」 |
結論から書いてしまうと、部分日食は観測できたが、肝心の皆既日食の時間、太陽は厚い雲の向こうに隠れ、太陽があるとおぼしき辺りは真っ黒。コロナもダイヤモンドリングも目撃することができなかった(お隣の喜界島では見えた場所もあったそうだが)。なんとも残念な話だけれど、自然現象の話だから、こればっかりは仕方ない。騒ごうがわめこうが、見えなかったものはもうどうしようもないのだもの。次に日本で皆既日食を観測するには、26年待たなければいけないわけで。
インフォメーションデスクには大きなてるてる坊主が。テントサイトの木々にも小さなてるてる坊主がつるされていた。効果があったのか皆既日食の時間は雨は降らなかった……けれど、てるてる坊主に雲を晴らす力まではなかったようだ |
観測会場となった公園の陸上競技場グラウンド。高台にあり、このように海を見下ろす。海の向こうには喜界島の姿がうっすらと見える。……あちらの島ではコロナを拝めたところもあったとか |
ともあれ、日食撮影用にセッティングしたデジタル一眼はほとんど沈黙せざるをえなかった一方、スナップ用サブ機として持っていったEX-H10はいたるところで大活躍。日食前後も日食中も、ポケットからさっと取り出し、思うがままに撮影。しかもバッテリー残量を気にしなくていいEX-H10の強みを、さまざまなシーンで満喫したのだった。
体育館内のベッド割りをよく見ると「消化栓」の文字が……。この変換ミスに気づいている主催者側の人ははたしていたのだろうか? |
皆既日食の日の深夜、雷雨襲来。0時半頃、雷が光った瞬間にシャッターを切ったら、真夜中とは思えないような明るい空と地上の写真を撮ることができた。ちょっと真夏の北欧の夜っぽいかも |
その日のうちに、1,200人のうち800人が会場から去っていった。僕らは体育館にもう1泊し、23日の早朝、フェリーで奄美大島から離れた。名瀬から那覇までは、鹿児島~名瀬を上回る13時間の船旅。しかもいくつものツアー客や一般客も同乗し、船内は場所の確保も難しいほどの大混雑だった。
名瀬からフェリーに乗って沖縄は那覇に向かう。この日のフェリーはツアー客だけでなく一般客も多数乗船していたので、船内は大混雑。ここは実はレストランなのだが、客室として使われていた。レストランは営業なしで、かわりに弁当が販売された |
奄美大島から離れると、次第に雲が薄れ、夏の陽射しが照り始めた。写真は沖縄本島のすぐ北にある与論島へ停泊しているところ |
写真中央の建造物群は、沖縄北部観光でおなじみの沖縄美ら海水族館。さすがに人気スポット、フェリーのデッキから多くの人がシャッターを切っていた |
慶良間諸島や久米島に向かうフェリー・高速船が出るターミナル「とまりん」で見つけたチラシ。最近も小学生が登校途中に不発弾を発見し、学校まで運んできてしまったという事件があった。多数の不発弾が眠っている沖縄らしい注意喚起である |
23日夜7時前、那覇に入港。宿にチェックインした後、国際通りから一本入ったところにある沖縄家庭料理「さかえ」に赴く。この店、僕が那覇へ行くとかならず立ち寄るところ。店を切り盛りする"お母さん"こと生島さつえさん、その娘なおみさんとの1カ月ぶりの(!)再会を楽しみ、お店特製のフーチバ(ヨモギ)泡盛を舐めながら、山羊の刺身に舌鼓を打つ。料理、泡盛、そしてお二人の魅力が忘れられずリピーター化する人が、地元、観光客ともに多い。いつものように、閉店まで呑んだ。…つづきを読む