誰もが認める現代演劇界の第一人者・野田秀樹が、この上もなく美しい世界をまたしても作り上げた。新作『パイパー』は、2009年1月4日(日)~2月28日(土)まで、渋谷のシアターコクーンで上演された。WOWOWで同舞台を5月6日(11:30~)に放送する。

『パイパー』

火星に住む美人姉妹と、謎の生物「パイパー」

物語の舞台となるのは、今から約1000年後の火星。廃墟と化した食料品ストアに、父親のワタナベ(橋爪功)と住むフォボス(宮沢りえ)とダイモス(松たか子)の姉妹。彼らは遠い昔、地球から宇宙船に乗ってやってきた移民なのだった。ワタナベの交際相手マトリョーシカ(佐藤江梨子)の連れ子キム(大倉孝二)は類まれな記憶力を持つ天才児で、火星の歴史のすべてが詰まった「死者のおはじき」を記憶することに余念がない。そこには、かつて人類とともに火星に降り立った謎の生物「パイパー」についての記録が残されていた。人間に幸せをもたらすために創られたという「パイパー」は、現在では人間に災害をもたらし、死体と踊る不気味な存在と化していた。なぜ、「パイパー」はこうも変わってしまったのか? そして、人間の幸せを数字に置き換えたという「パイパー値」は、なぜゼロになってしまったのだろうか? いくつもの謎が示される中、火星の衛星から取られた名を持つ姉妹の「希望」を探し求める冒険が、いま始まった。

勢いのあるキャストたちの魅力

松たか子(左)と宮沢りえ

松たか子・宮沢りえの姉妹がいい。松は『オイル』(03年)、『贋作 罪と罰』(05年)で、宮沢は『透明人間の蒸気』(04年)と『ロープ』(06年)で、それぞれ野田作品に参加した経験がある。松は、自分が火星について、自分がどうして生まれてきたのかについて、何も知らないことに苦しむ。一方の宮沢は、それとは対照的に、幼い頃の強烈な体験の記憶を持つがゆえに、苦しんでいる。松のウブさと、宮沢のすれっからしな演技が、好対照をなす。特に後半部の、2人が横並びになって全く動かず、5分間ほど怒涛のようにセリフをまくしたてるシーンには、鳥肌が立つほどの迫力がある。野田も「2人を信頼しきってやれました」と語っている。

野田によれば、これまで「この世を知り尽くしている」ような役は、松が担っていたそうだが、本作ではそれが逆転しているのが面白い。姉であるフォボス(宮沢)は、ダイモス(松)よりも4歳上。たった4年が、「知ってしまった」姉と、「何も知らずに済んでいた」妹の差を、残酷にも生んでしまう。ここには「ほとんど同じようなところに生まれていても、大きな事件の前と後ろで生まれた人では全然違う」ものではないか、という野田の思いがこめられている。さりげなく深いテーマを持ち込んでくる、野田のたしかな手腕が光っている。

父親のワタナベを演じた橋爪功は、ユーモアを交え、明るい印象を与える前半部から、奥底に隠れた狂気を垣間見させる後半部への転調がなんとも鮮やかで、円熟した味を存分に発揮している。大倉孝二の演技も大いに笑わせてくれる。

そして、なんといっても注目すべきなのは、謎の生物「パイパー」を演じたコンドルズだろう。近藤良平率いるダンスカンパニーである彼らは、「学ラン」を着たパフォーマンスが有名だが、本作では工場のダクト(管)を思わせる銀色にテラテラ光る衣装に、奇妙な輪っかを付けた扮装で登場する。彼らは果たして、人間なのか機械なのか、救いの使者なのか地獄への案内人なのか、そのあたりがなんとも曖昧であり、そのような不気味な存在感を、見事に醸し出すことに成功している。

「パイパー」は「定義しがたいもの」だと言う野田だが、川崎の工場街を歩いたときの経験が、発想の源になっているという。「人の魂が宿っていない」ような巨大なパイプが動き出したらどうなるのか。実際の光景がもとになった「パイパー」たちの姿は、見る者の想像力に強く訴えかけてくる。

幸せをはかる数字「パイパー値」、ラストのに込められた思い

近作の『オイル』ではアメリカが投下した原爆を、『ロープ』ではベトナム戦争を、それぞれ明確に意識して描き出した野田。そんな彼が本作の舞台に設定したのは「1000年後の火星」という「寓話的」な世界だ。「若い頃書いていたものに近い」という言葉通り、かつて野田が主宰していた劇団「夢の遊眠社」時代の作品と共通性が感じられるのも、ファンには嬉しい要素である。

とはいえ、世界的な不況の中で、ありとあらゆる「数字」の上がり下がりに一喜一憂したり、また食の安全性についての不安が広がっている現代のわれわれが抱いている思いが、ギュッと詰め込まれているのも確かだ。「人間の幸せなんて、数字にできるはずがない」。分かっているはずなのに、いつの間にか数字に「踊らされて」しまっているわれわれに対して、野田が結末で用意したのは、ある「出発」だった。そこに込められたメッセージとは、果たしてどういったものなのか。ぜひその目で見届けてほしい。