ここまで角谷氏の話は、ソフトウェア開発の要は参加する人の活動にある、ということで一貫しているが、それだけにその中心になる人を信じられるか、というのが重要な問題にもなってくるようだ。
この点について角谷氏は、「この問題は、チームに関わっている1人ひとりが、仕事を通じて、フィードバックを得てうまくなっていく、見積りやソフトウェアをつくることが上達することを本当に信じられるかということです。フィードバックを得ることで計画や見積りの精度が上がることを信じられるか。最初は100%じゃないからいい、と本当に思えるか、ということを問いたい」と説明した。
この問題を突き詰めていくと、一緒にやっている人を疑わずにいられるか、というシビアな問いかけにつながっていく。
「くだいて言うと、この人はさぼってるんじゃないか、見積もりで嘘言っているんじゃないか、と思わずにいられるか。そこで信じられるか、というのはタフな問いかけだと思います。特にアジャイルな開発は最初からうまくいくということはまずなくて、何回か辛い思いをする。そのときに踏ん張れるかというのは、中心にある人を信じきれるかという問題。人を信じられるかどうかが、この先もアジャイルな開発をやっていけるかどうかの鍵だと思います」(角谷氏)
優れたツールや手法も使うのは人
講演の最後に角谷氏は、本書中にはすぐれた手法やツールが入っているが、それさえ使えば良いのだというものではないという点を強調した。
「書籍には、計画をどう立てるか、バッファをどう取るか、見積りをどうするかというテクニカルな話がたくさん載っているんですが、書いてあるから実践すればうまくいくとは限りません。ソフトウェアづくりの現場を見ること、ソフトウェアをつくっている人を見ること、ソフトウェアを使っている人を見ることがやはり大事です」(角谷氏)
どういう人を見れば良いのか? 見るべき相手は開発をやっている人だけではない。ソフトウェアを使う側、発注する側の人も同じように重要なのだという。
「やはり、ユーザーやスポンサーやプロダクトオーナーを見ないといけない。どういうことをトレードオフにしているか、ビジネスの上で何を重要視しているかを見ないといけません。枠組みだけ持っていって入れて『こういうものです』と説明しても通じません。特に発注する側の人はソフトウェア開発について知らないのが当たり前ですから、教える、伝えてあげる必要があります。ただ、ユーザーを教育するとという言い方は違うと思う。学びは人に対して行うものではない。やってもらうようにするしかないんです」(角谷氏)
角谷氏は、書籍に掲載されているさまざまなツール、手法を学ぶことは有効であるとした上で、「開発のプロセスをアジャイルにしていくことを考えるときに、活動に関わる人をどう"いきいき"させていくかということを考えないで、手法やツールにおぼれると、不幸な事件とか不幸な人を生むことにつながると思います。書籍に出てくるテクニックとかツールの裏側には人の感情や楽しさがあって、切り離せないものだということを忘れてはいけません。口に出すと普通だけど、人が中心なんだというところに戻らざるを得ないです」と述べた。
現場に応じた部分的な取り入れから検討を
このレポートを通じて、"アジャイルに"見積りと計画づくりを行うことに興味を持っていただけただろうか?
本書では、見積りや計画づくりの目的から見積りの方法、優先順位の付け方、不確実性を吸収するバッファの取り方や進捗状況の把握方法まで、かなり実践的な形で詰め込まれている。
これは筆者の考えだが、必ずしもアジャイルな開発と呼べるような現場でなくても、本書の考え方は汎用的で役に立つのではないだろうか。いや、もっと言えば、ソフトウェア開発以外でも、ものづくりを行う現場で役立つ情報がたくさん載っている。
ただ、読めばすべての問題が解決できるような「万能薬」ではない。たとえば日本企業から開発を受託するなら、最初に期間や金額についての見積りを確定して提示する必要があり、本書にあるような継続的な見積りと計画づくりは認められにくいという問題がある。本書における見積りはコミットメントではないのだ。
こういった商習慣との共存の方法、またはクライアントとの交渉方法については本書には含まれていないので、それはあらかじめお伝えしておこう。
それを差し引いても、最終的にソフトウェアを、ユーザー、開発側双方にとってよりよいものに育てるための方法が本書にはある。ぜひ、開発者はもちろん、見積書や計画書の提示を求める・求められるマネージャーにも一読していただきたい書籍である。