米国マイクロソフト本社には、楽器の演奏が趣味だったり、音楽趣味が高じてバンドを組んでいたり、という人たちが少なくない。だから、今回のニュースは考えてみたら、それ程おかしくはない話なのだが、とにかくビックリした!

3月17日にリリースしたソロアルバム「Enigma(エニグマ)」

米国マイクロソフトの元役員で、Windows Vistaを担当していたジム・オールチン(Jim Allchin)が、3月17日にソロアルバム「Enigma(エニグマ)」をリリースしていたのである。

衝撃だったというか、頭が混乱したのは、3月11日付でMassive Music AmericaのPR担当が「Jim Allchin Left Microsoft Behind and Releases Solo Album Enigma(マイクロソフトを離れたジム・オールチンがソロアルバム『Enigma』をリリース)」というアナウンスを行ったことだ。ギークな彼が同社を離れてのリリースと聞いて、一瞬素人考えで「対抗馬のアプリケーションでも発表したの?」と、寝ぼけたことを思い描いてしまった。

ジム・オールチン(57歳)、マイクロソフトプラットフォーム&サービス部門の共同プレジデントを務めていた

Windowsを始めとする華麗なる技術分野でのヒストリー

ジム・オールチンは、マイクロソフトを退職する直前には、同社プラットフォーム&サービス部門の共同プレジデントとして、同部門の総指揮を執っていた。また、同社の主要方針の策定にあたるシニアリーダーシップチームのメンバーでもあり、ビル・ゲイツやスティーブ・バルマーに次ぐ、マイクロソフトの権力者とも言われていた人物だ。「Windowsに関しては、オールチン氏が全責任を負っている」「ビルに次いで、最も技術に長けたシニア幹部だ」と言った当時の米アナリストのコメントもある(※)。同社が最も成功を収めたOS「Windows NT」の栄光も彼の貢献の賜物である。

フロリダ大学、スタンフォード大学、ジョージア工科大学で学び、コンピューターサイエンスの博士号を持つオールチンの、技術分野での経歴は華麗の一言に尽きる。1973年にテキサス・インスツルメンツに入り、DX シリーズOSの開発に参加。1980年代前半には、スタンフォード大学の博士論文に力を注ぐ傍ら、「Clouds」専用業務処理オブジェクト指向OSの主任設計者を務めている。ちなみに論文は、「Clouds」について論じたもので、「高信頼性、及び非集中型システムのアーキテクチャ」と題されている。

その後、ネットワークソフトウェアベンダーのバニヤン・システムの創立に参画し、バインズと呼ばれる分散ネットワークOSの主任設計に携わった。同社には7年間在籍し、シニアバイスプレジデント兼CTOを務めた後、1990年にマイクロソフトに入社している。

マイクロソフトでは、ネットワーキング製品の戦略推進を担当後、早い時期から同社主力製品であるWindows OS、Microsoft .NET、Windows Server Systemのプロダクトを推進し、エンジニアリングおよびテクニカルアーキテクチャ全般を統括してきた。だが、ビル・ゲイツがマイクロソフト退任を告げた2005年には、オールチンも退任を発表しており、Windows Vistaを発売した2007年1月30日に退職している。

最高技術責任者の地位の傍らには、ミュージシャンへの思い

マイクロソフトに在籍中から、彼の音楽好きや、ビンテージギター「54年製フェンダー・ストラトキャスター」を所有するなど、ギターマニアであることも周囲の熟知するところだったらしい。

貧しい少年時代に音楽に魅せられたオールチンは、サンタナやオールマン・ブラザーズ・バンドを聴きながらギターを独学で学んだ。ブルースやジャズにかなり没頭していたが、大学に入ってからしばらくすると、タイミングも才能もまだ熟していないと音楽に没頭していた日々を一新し、博士号への道に進んだ。だが、ソフトウェア業界でのキャリアを積みながらも、常に音楽への道もあきらめきれなかったそうだ。

ギターを持つとミュージシャンの顔。トレードマークの白髪がブロンドっぽくも見えてかっこいい

前評判では☆4.5! ロックからブルース、カントリー調など

シアトル・ワシントン発の同リリースによれば、「ジム・オールチンは、マイクロソフトの共同プレジデントの座を離れ、ミュージシャンに転身した。彼自身が手掛けたアルバムの収録曲は、ロック、ポップ、ブルースをミックスさせた魅力あるものとして、リリース前レビューで4.5星をとっている」そうだ。確かに曲はブルース調やカントリー調のもの、80s調の馴染みやすいメロディからロックまでバラエティに富んでいて、ジャンル分けは難しい。

「Enigma」は、日本のAmazon.co.jpでも購入可能だが、現在は入荷待ち状態。しかし、iTunes Storeで検索するとアルバムタイトルが表示されて、一曲150円でダウンロードが可能であり一部試聴もできる。ところで「Enigma」は、ドイツが第二次世界大戦中に使っていた電気機械式暗号機の名前だが、アルバム1曲目のタイトルにも「Enigma Machine」とあるように、明らかに暗号機を意識した名前である。

それに関連して、YouTubeやWebサイト「JimAllchin.com」には、彼のギターソロのムービーがアップされているのだが、ギターを奏でるジムの周りの空間は、コンピューターやネットの中をイメージしているようにも見える。そしてギターを弾く彼の様子は、まるで元からのミュージシャンであるかのようだ。

筆者の周りのIT業界関係者にも、ギター好きで音楽好きな人たちは多いが、中でもジム・オールチン氏と同年代の人たちにとっては、ちょっと羨ましい話ではないだろうか。

ギターソロを見せるYouTubeの映像

ところで、このデモ・ムービーでジム・オールチンは赤いギターを弾いている。筆者は、ギターというと「フェンダー」か「ギブソン」くらいしか知らないのだが、事情に詳しい知人に調べて貰ったところ、どうやらこのギターは、珍しいメーカーのようで、「Ibanez」(アイバニーズ)という会社の「Joe Satriani」(ジョー・サトリアーニ)モデル(JS1200)と聞いた。

気になる赤いギターのブランドは?

それにしても、10代で最初に手にした楽器であるトランペットを、唇が切れるまで吹き続け、10代後半ではギターを16時間弾き続け、バインズ時代には36時間ぶっ続けにネットワークOSの開発に取り組んだといった話を聞くと、“ギークの鏡”としか表現しようがない。

「幼い頃は家が貧しく、父親を早く亡くし、裸足で学校に行っていた」「高校の時には、給与計算会社でパンチカードを運ぶアルバイトを行っていた」などといった逸話もあって、IT業界と音楽業界を股に掛けた、まさに「アメリカンドリーム・ストーリー」ではないか。

信念とこだわりを持ち続け、最後には自分のものにしてしまう、そんなエネルギーを持つ“ギーク”はかっこいい。

※<参考文献> 脇英世著『IT業界の開拓者たち』(ソフトバンクパブリッシング、現ソフトバンク クリエイティブ)刊、CNET「Allchin legacy seen in Windows (By Joris Evers)